(インドネシア入国時のホテル強制隔離で利用したホテルの部屋)
本日でこの「コロナ禍の移動&ステイ」の記事については終わりとなります。
前回までのブログはこちら↓
明日以降、インドネシアの現在、そして折を見て通常の名言紹介ブログに戻ろうかと思います。
そして、先日のニュースですが、ついに厚生労働省のHPにて日本入国後の待機違反者の名前が公表されましたね。
んー、やっぱり来るところまで来たかといった感じです。
おそらく悪質だった例で、少しでも違反(例えばスマホでのアプリチェックを忘れた等々)したら、とまでは考えなくてよいとは思いますが、本当に氏名が公表されましたね。。。
話が逸れましたが、下記に日本出発からインドネシア入国&ホテル強制隔離の体験を書いていきます。
まずは日本での出国前PCR検査からです。
- 2021年5月24日 名古屋でPCR検査
- 2021年5月26日 日本出発(中部セントレア空港から)
- 2021年5月26日シンガポールのチャンギ空港にて乗り継ぎ
- 2021年5月26日インドネシアのジャカルタに到着
- 2021年5月26日 空港からホテルへ
- 2021年5月26日 ホテルでチェックイン、軽い監禁状態ではあるが自由の身へ
- 2021年5月27~31日 ホテルでの強制隔離生活&終了
- まとめ 感想
2021年5月24日 名古屋でPCR検査
結果的に無事に陰性でしたのでとりわけ書くことも多くありませんが、現在までPCR検査や抗原検査で20回近く私は鼻に綿棒を突っ込まれてきました。
やはりこの検査、精度的にどうかと思う。
どこまで綿棒を突っ込むか、そしてどれぐらい鼻の中をグリグリするのか、検査員によってだいぶ違います。
めちゃくちゃ痛い時もあれば、全然突っ込まれず痛くないときもあります。
それでも私の場合、この日のPCR検査はかなり痛い部類に入った。
防護体制のお医者さんから「すみませーん、いきますよー」と言われ、グリグリグリ、グリグリグリグリ―っとめちゃくちゃ痛かった。
2021年5月26日 日本出発(中部セントレア空港から)
インドネシアの空港は思いのほか人が多かったのですが、日本の空港は少なかったです。
そして以前にも紹介した案内板。
欠航という文字が並んでます。
ニュースで何度か見たことはありましたが実際目にすると、感慨深い(?)ものがありますね。
お店は開いてましたがお客さんはほとんどいません。
待合室もこんな感じです↓
喫煙所は貸し切りでした、とても変な感じです↓
しかし、喫煙所が結構閉まっていて開いているのは遠いところのみ。
私は搭乗時間前に最後の一服をしたのですが、やはりコロナ禍、飛行機の遅延も無く、且つ搭乗者も少なかったので、チケット通りの搭乗時間で搭乗開始で、しかも乗客も少ない状態です。
結果、私が一番最後の搭乗者でした(笑)。
それでもチケットに書いてある搭乗時間の5分前です。
いつもならせいぜいチケットの搭乗時間は目安で、搭乗時間を15分ぐらい過ぎてから搭乗開始なら上出来レベル、それが今回はオンタイム。
コロナで便数も乗客も少ないからでしょうね。
全く持って時間通りの搭乗、出発でした。
2021年5月26日シンガポールのチャンギ空港にて乗り継ぎ
インドネシアから日本へ帰ってくるときチャンギ空港での乗り継ぎだったのですが、その時とは違い自由な雰囲気でした。
やはりどの国から飛んできたかで滞在するエリアや制限は違いました。
飲み物や食べ物を買えるブースもあるし、喫煙所も自由に使えました。
前回のチャンギ乗り継ぎ時の記事はこちら↓
シンガポールドルも小銭ぐらいを少し持っていたので、何か飲み物でも買おうかと思ったのですが、あっという間に搭乗開始となり何も買えずじまい。
到着後に一服して、制限エリア内を歩き終わって何か買おうかなと思ったら招集があって即移動という感じでした。
もちろん、日本からということでも空港内は完全に自由ではありませんので、防護服の人に連れられて搭乗口までの移動でした。
乗客や乗り継ぎ客も多かったですね、やはりシンガポールは活かせるビジネスチャンスはしっかり活かしている印象です。
2021年5月26日インドネシアのジャカルタに到着
この時は疲れ果てていたのを覚えています。
バタバタした日本滞在、インドネシアに帰ってホッとするという経験はあまり無かったのですが、この時はちょっとホッとしました(笑)。
コロナ禍の入国ということで日本の空港のようにチェックも厳しいのかなぁと思っていたのですが、それほど時間もかかりませんでした。
インドネシアの場合は空港でPCR検査(日本は抗原検査)は行わず、入国後のホテル強制隔離時のチェックインで行う為、追跡アプリやテレビ電話アプリも入れる必要が無かったので、至ってスムーズ。
人はやはり少ないですが、イミグレにて入国審査が終わった後はいつも通りに荷物を受け取って空港を出ました。
2021年5月26日 空港からホテルへ
ここからが若干面倒、というか時間が掛かりました。
空港を出てもホテル強制隔離なので勝手に自家用車を呼んだり、タクシーに乗ったりというのは出来ません。
到着ゲートを出るとホテル名が書かれたタグを首からぶら下げた人たちがいます。
事前に予約していたホテルのスタッフを確認し、自分の名前を伝えて予約確認をしました。
そこで、ホテルの人から「パスポートを預かります、明日返します」とのこと。
これは事前に聞いていましたのですんなりとパスポートをホテルの係員に渡しましたが、背負ってるリュックにパスポートをぞんざいに入れる様子を見て若干不安になりました(笑)
ただ、事前に知っていたので、まぁ良しという感じです。
そこで遠くから関西弁が聞こえてきた。
「パスポートを預かる?そんなんおかしいやろ。パスポートは命の大切なもんや。どんな理由があったって渡せまへん」。
ホテルの係員がリュックを開いて、
「ほら、みんなちゃんと従ってる、あなたもパスポートを出しなさい、ホテルのルールです」
そんな様子を遠巻きに見ながら、確かに普通はホテルのチェックインでさえもパスポートを預けることはない、しかも今は空港でチェックインすらしていない、そんな中ホテルの名前をぶら下げたスタッフといえども事前に知らないとさすがに怪しむのもわかる。
おそらくこの事前にパスポートを預かるっていうのは、逃亡防止。
もしかするとチェックイン時の手間省きやホテルでのPCR検査を円滑に進めるためかもしれませんが、私は逃亡防止だと思いました。
なぜなら、空港からのホテル移動はホテルが用意する送迎車、ただ送迎車といえどもただの高級なタクシーなんですよね。
この高級タクシーもひっきりなしに空港へ入ってきて、ホテルの係員が捕まえてる感じでした。
私もそのタクシーに乗って思ったのはお金を渡せば普通にどこでも連れてってくれるんじゃないかと。
現に「タバコ吸いたいならどっか寄るよ?」と。
私の場合、お願いしたらチップを要求するだろうし、何よりここまで来たなら全てを終えてホテルの部屋に入ったときに深々と一服したかったので断りました。
逃亡防止でパスポートを預かる、これだととりあえずホテルに行かないといけません。
すごくシンプルな方法ですが、効果ありです。
そして無事にホテル到着。
2021年5月26日 ホテルでチェックイン、軽い監禁状態ではあるが自由の身へ
今回利用したホテルは「シャングリラホテル」。
こんな時じゃなきゃなかなか止まらない5つ星ホテルです。
到着してから、チェックインですが、混みあっていました。
案内されるがままにPCR検査スペースへ。
私自身、疲れてもうどうでもいい感じ、早く綿棒を鼻に突っ込んでくれ、です。
他の宿泊客とは異なるスペースでのチェックインなのですが、書類を貰ってそれに記入。
事前情報だとほとんどホテルの人が書いてくれたそうのですが、混んでいたので、全て自分で記入。
正直、何を書いたか覚えていない。
もし書類に不備があったら口頭で伝えてホテルの人に訂正してもらおうと(もう疲労困憊)。
で、チェックインの順番を長いこと待ってようやくチェックイン。
チェックイン後、ホテルの人に連れられて監禁者専用(笑)のエレベーターで部屋に到着。
こんな感じ。
5つ星にして良かった、部屋も広い!
疲れがどっと出たのですが、変な安心感からか意外にもなかなか寝付けず、日本から持ってきたお酒を飲んでようやく就寝。
2021年5月27~31日 ホテルでの強制隔離生活&終了
ホテルでの強制隔離。
しかし、強制隔離といえども、考え方を変えれば部屋を出れないだけで、食事も持ってきてくれるし、タオルも必要な時に代えてくれるので、正直、快適な生活でした。
食事はまず到着時の夜はハンバーガーでした。
インドネシアにしてはかなり良いクオリティです。
そして他の日はこんな感じ↓
左のような普通のお弁当みたいな日もあれば、右のようなジャンキーな食事もありましたが、大満足の食事内容でした。
特に右のやつ。
食べる前はついに出たか、インドネシアのアヤムゴレン(フライドチキン)と思ったのですが、なんとフィッシュアンドチップスでした。
6年半住むインドネシアで初めてフィッシュアンドチップス食べた。
良い感じに揚げてあってめちゃくちゃうまかった。
言うことなしの隔離生活、インドネシアでは5日間(5泊6日)の強制隔離だったのですが、これなら10日以上も余裕です(現在は8日間の隔離とのこと)。
そして、チェックインの前日にPCR検査を受けて、無事に陰性で翌日チェックアウトでホテル隔離生活終了。
部屋を出るときは何だか誇らしい気分で、自分にお疲れ様!と言いながら(大して疲れてはいないが)出たのですが、部屋の周りはおろか、エレベーター前にも係員や警備員がいない。
エレベーターに乗ってそのままロビーへと向かったのだが、これ、防犯カメラ云々を除けば普通にロビーへ行ける。。。
THE・インドネシア。
5つ星でこれは。。。
そしてロビーでチェックアウト。
その時に陰性証明書をに貰ったのですが、生まれた場所が「Tokyo」になっていたり、誕生日は合っているものの、生まれた年が1957年になっていた(私の生まれは1987年)。
一言、俺は33歳であって、63歳ではない。
この辺りがもう一度、THE・インドネシアですね。。。
何はともあれチェックアウトを済ませ、ロータリーで会社の運転手に電話をかけ、車に乗り込んで終了。
そこから会社規定で2週間自宅待機とされたが、もはやそんなの関係なしに心は自由の身。
まとめ 感想
このコロナ禍での移動時も大変で、今回以上に疲れた一時帰国はありませんでしたが、良くも悪くも貴重な経験が出来ました。
渡航前の事前の準備も大変でしたが、まぁ何といっても日本での自主隔離とインドネシアでのホテル強制隔離、これもまた良い経験でした。
ブログでは書きませんでしたが、今回の一時帰国にて妻が日本へ戻り、単身での海外赴任という形になり、この一時国中での新居探しというのも大変で、それに伴う家具や家電を揃えるのも一苦労。
お金より何よりもいつも時間に追われていた感じでした。
そんな中で全てを及第点で終えることができ、日本からインドネシアへ。
インドネシアでのホテル強制隔離やインドネシアの自宅での2週間隔離は比較的ゆっくり過ごすことができ、徐々に仕事モードへ切り替えることも出来たと感じています。
私は今年中に海外駐在生活を終えて、日本の本社勤務に戻ります。
その時帰るときは、おそらく日本での強制隔離生活が待っているでしょうが、何とか乗り切れるのではないかと。
日本のホテル強制隔離は狭いビジネスホテルで、窓も開けられない、まさに監禁状態。
「無料なんだから文句言うな」という声も聞きますが、それだったらお金払いますので良いホテルをというのが私の本音。
とりあえず残り少ないインドネシア生活を、無事にコロナに感染せずに過ごすことが目下の目標です。
明日以降は通常のブログに戻る予定ですが、その前にインドネシアの今の状態をお伝えしようかなと思っています。
今後とも宜しくお願い致します。
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