(画像はインドネシア出国前のスカルノハッタ空港にて)
先日の帰還(?)報告から、1カ月以上更新が滞ってしまいました。
そして、一時帰国の話より2021年7月現在では私の住んでいるインドネシアで感染者が増え、日本人の多くが政府特別便で日本へ帰国したりで、控えめに言って「しっちゃかめっちゃか」な状態です。
今のインドネシアの状態をブログに書いた方がよっぽど現実味があるのですが、まずは順を追って、ということで、タイトルにある通り「駐在先から日本へ」を書いていきたいと思います。
先日のブログはこちら↓
日程毎にこの1か月半を振り返ります。
あまり必要なさそうなことも書きますが、忘備録としても残しておきたいと思って書いています。
この記録は2021年4月27日インドネシア出国~5月26日インドネシア入国&隔離生活の記録です。
- 2021年4月26日 インドネシアでのPCR検査
- 2021年4月26日 日本での滞在先であるマンスリーマンションの予約確定
- 2021年4月27日 インドネシア出国に向けて自宅出発
- 2021年4月27日 空港到着からチェックイン、搭乗まで
- 2021年4月27日 搭乗してシンガポールでの乗り継ぎ
- 2021年4月27日 チャンギ空港での喫煙ツアー
2021年4月26日 インドネシアでのPCR検査
日本入国には出国(私の場合はインドネシア出国)72時間前のPCR検査の陰性証明書が必要です。
そして、利用する航空会社や乗り継ぎをする場合、その航空会社や乗り継ぎ国のルールに基づいた書式や医療機関での取得が必要となる場合があります。
私はシンガポール航空を利用して、チャンギ(シンガポール)乗り継ぎだった為、シンガポール航空が定めた医療機関にてPCR検査を受ける必要がありました。
現在、シンガポールはインドネシアからの入国や乗り継ぎを認められていませんが、この時はまだ認められていました。
私の住んでいる街にも認可されている医療機関はあったのですが、情報を調べたり、ひょっとしたら結果が出るのが遅かったりしたら嫌なので、片道3時間かけて都市の日系のクリニックへ行くことにしました。
往復6時間。
検査待ちの時間も含めると計9時間でした。
体力的には辛いし、時間ももったいないのですが、こういうときはそれらを無視しても軽減したいものがあります。
それは、リスク。
日本へ帰れないのが一番最悪なので、安全サイドで進めました。
しかし、最悪だったのが、突如インドネシア国内で始まった移動規制。
移動許可証が無いと街へ入れない可能性がある、というものでした。
慌てて会社の総務に連絡し、会社の移動許可証を作成してもらいました(結局、確認されることもなく街へは入れましたが)
そして、無事に私も妻も陰性で、これを以て日本へ帰られる可能性がほぼ100%になりました。
もちろん、心配性な私は、この陰性証明書の書類で無事に飛行機に乗れるのかと不安にはなりましたが(笑)
2021年4月26日 日本での滞在先であるマンスリーマンションの予約確定
こんなことは本来書かなくとも良いのかもしれませんが、地味に「やってらんねぇ」と思うことだったので書きます。
PCR検査陽性が出たときの為に日本で隔離期間及びその後の滞在予定先としていたマンスリーマンションの予約を確定させず、管理会社に無理を言って仮予約の状態とさせてもらっていました。
マンスリーマンションでの滞在開始は4月28日から、ということでもう時間が無いんです。
よって、PCR検査で陰性が出て自分の街へ戻る車中で予約確定、そしてネット上での支払いを済ませるというバタバタっぷりでした。
なんで日本へ帰るだけでこんな思いをしなければいけないの?と改めてこのコロナ、というかコロナによる人間が作った規制に対して恨みを覚えました。。。
2021年4月27日 インドネシア出国に向けて自宅出発
前日に無事にPCR検査の陰性証明書をゲットし、この日もまた空港のあるジャカルタへの長時間移動。
その長時間移動ももちろん大変でしたが、その前の家での荷物のパッキングも大変でした。
私事ですが、妻がこの一時帰国を以て本帰国となり、その為に荷物も膨大になりました。
もうこの日の朝の心境としては、果たして明日の昼に、我々は本当に、日本の、名古屋のマンスリーマンションにいるのだろうかととても不思議な感じでした。
荷物はスーツケース4つに段ボール箱2つという大移動。
もちろん車で空港まで直で移動するので、運ぶ大変さはないのですが、もうここまでくると疲れ果ていて、どうとでもなれの心境です。
あとはちゃんと空港でチェックインできるのかどうか、それだけが心配でした。
2021年4月27日 空港到着からチェックイン、搭乗まで
専用運転手付きの車移動、東南アジアならではなのですが、これの最大のメリットは、車の中に入ってしまえば、とんでもない安心感に包まれる、ということ。
空港まではすんなりでした。
昨今の空港の風景はニュースなどで見ていたので、人はまばらかなと思ってたのですが、思いの外、人はいました。
そして空港到着後、早速シンガポール航空のチェックインカウンターへ。
通常時と同じように書類やパスポートを出し、一緒にPCR陰性証明書を出しました。
この時「この陰性証明書が有効かどうか確認します」とカウンター出ていく係員、もう内心ヒヤヒヤ。。。
なぜか空港は冷房が効いておらず、暑さによる汗と心配の冷や汗でもう気分は最悪でした。
10分ぐらい待ったでしょうか、係員が戻ってきてカタカタとパソコンを操作し、プリンターが鳴る。
そう、無事に搭乗券が発行されたのでした。
荷物が多かったので超過料金も丁寧に請求され、もういくらでもいい(後日無事に会社へ請求)とさっさと支払いを済ませ、とりあえず第一関門クリア。
手荷物検査も出国のイミグレも問題なく終わり、気持ち的にはようやく一安心。
手荷物の中には、妻の本帰国に際し、大量の食器(割れやすいので機内手荷物へ)が入っていたのですが、特に何も言われずに荷物検査を通過、これも地味にホッとした瞬間でした。
そして、待合エリアの店はやっぱりほぼ閉まっていました。
いくつかのお土産屋とコンビニ的なお店ぐらいがやっていて、とりあえずビールが買えたので、そこで一息。
2021年4月27日 搭乗してシンガポールでの乗り継ぎ
無事に飛行機への搭乗を済ませ、あっという間にシンガポールのチャンギ空港へ到着。
チャンギ空港では乗り継ぎエリアを出発国によって割り振っていました
言うなればコロナ感染者の多い国から来た人は、空港内で移動できる範囲が限られています。
ただ事前に見たシンガポール航空のHPでは、確かに移動できる範囲は限られていますが、食事や飲み物は自由に買えます的なことが書いてあり、喫煙者の私にはありがたいことに喫煙所もある、とのこと。
さすが、シンガポール、やっぱりちゃんとしているなと。
そんなこんなでシンガポール到着。
空港へ入ると、穏やかでは無い雰囲気。
防護服を着た人がいっぱい(写真を取ればよかったのですが、そんな体力は既に1ミリも無く)。
そして手首にに緑色の紐をまかれる、パチッと何かで止められた。
試しに引っ張ってみたが、取るつもりはなくとも人力では取れないことが分かる、ハサミじゃないと無理。
気分はエヴァンゲリオンの碇シンジ、DSSチョーカーみたいと、テンションが上がるわけでもなく、気分は人間モルモット。
それでも気を落とさず防護服の人に案内されるがままについていき、どうやら着いたようだ、うん、イメージと違う場所だ。
どうやらインドネシアから来た人たちは、制限エリアの中でも厳しい(?)制限区域のような場所になるらしい。
水はある、でも飲食が出来るような雰囲気の場所ではなかった。
乗り継ぎ時間は3時間、下がり切ったテンションに追い打ちをかけるようなエリアでした。
2021年4月27日 チャンギ空港での喫煙ツアー
この制限区域にはシンガポール航空のHPに載っていた喫煙所は当然無かった、でも、喫煙ツアーなるものがありました。
2時間に一度、喫煙所へ係員が案内しますというもので定員10名、そのツアー開始の時間が明記された紙が貼られていた。
そして、その時間になると、喫煙者っぽい人がそわそわしながら集まってくる、どう見ても10名は超えている。
ただでさえ暇を持て余す空港での乗り継ぎ時間、そして今はコロナで制限区域となりマジでやることが無い、そんな中での2時間に一度の喫煙タイムである。
この光景は面白かった、タバコを吸いたいという感情が恥ずかしいのか、皆そわそわしている、もちろん私もその中の一人。
そして、どう見ても10名を超えているというのは明らかだ、少なくともここにはそわそわしている人が20名近くいた。
そして係員が「喫煙ツアーに参加される方~」という意味合い(?)の呼びかけを行った。
この時の光景もまた面白かった。
喫煙者であるから皆、それなりに大人である、そんな大人がタバコを吸いたいという些細で、時には罪悪感を覚えさえもする欲求を前面に押し出して募集に殺到するのは大人げないと思ったのか、そわそわしながら列を作り始めた、そしてプラス、ちょっと早歩きなのである。
定員の10名に漏れたら吸えないだろう、喫煙ツアーには、10名とだけ書かれているから。
そして前から人数が数えられ、私はもう半ばあきらめで列の後ろの方に並んでいたので、当然アウト。
だったのですが、最初の10名から漏れた人は、随時案内しますということだった。
その時の安堵感も皆で共有していた気がする。
何はともあれ、このような事情で国外移動をする人はやはり何かしらの理由を持っている、それだけでもなぜだか同志に近いものを感じた。
そして、無事に喫煙ツアーも終えて、再度搭乗。
この時ばかりはもう日本へ帰られるというとてつもない安心感に身を任せていました。
明日は、日本到着から自主隔離期間中の体験を書きます。
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