送金を減らされたそうだが、
減らされただけ生活をきりつめたらどんなものだろう。
生活くらい伸びちぢみ自在になるものはない。
至極簡単である。
by太宰治(小説家)
小説家である太宰治の名言です。
どのような場面での名言かはわかりませんが、伝えたいことは簡単ですね。
送金を減らされても困ることは全くない、生活は自由自在に変えられるのだから、今持っているお金に合わせて生活すれば良いだけのこと、と。
生活にはお金がかかります。
ただ、その生活レベルを変え、支出を抑えることは可能です。
ただこれは、至極簡単に、というわけでは無いかな?と個人的には思います。
やはり一度上げてしまった生活レベルを落とすということは簡単ではありません。
質素な暮らしで十分という人でも、落とせない生活レベルというのはどこかで必ず存在します。
私はどちらかと言うと、質素な暮らしをしている方だとは思います。
でもこれは、たぶん自分と同じぐらいの年代、もしくは年収と比較して、ということで、生活自体が質素なのか?と言われれば、たぶん質素ではない部類に入るかと思います。
質素、突き詰めればキリがないですからね。
生活レベルを自在に操る、これは簡単そうで、実は簡単では無い。
実行にするには、それなりに覚悟もいります。
例えば、タワーマンションに住んでいた人が、収入が減ったからと言って、躊躇せずに六畳一間トイレ風呂共同のような物件には住めないと思います。
生活レベルを一度上げるとなかなか落とせない。
生活は確かに伸びちぢみ自在になるもの、でもそれをちゃんと実行出来る人は少ないのではないでしょうか。
簡単なのは、どれだけ収入が増えてもとりあえず生活レベルを上げないこと。
これが一番簡単で、現実的な手段です。
上げなければ下げる必要もないですから。
おはようございます。
本日の名言に「生活くらい伸びちぢみ自在になるものはない。」とあり、とはいえ、一度生活レベルを上げてしまうと落とすのは辛いと書きました。
この生活レベル、海外駐在から日本へ帰って苦労することとしても結構言われることです。
海外駐在の待遇は会社によって千差万別ですが、私にも自分の車と専属運転手がいて、言えばどこへでも連れて行ってくれます。
会社に着けば警備員の方が車のドアを開けてくれて「どうぞ」といった有様です。
そして、私は雇っていないですが、東南アジアの駐在では家にお手伝いさんを会社経費で雇う方も多いです。
私も会社から打診がありましたが、どうも他の人に何かをやってもらったり、家に入られるのが嫌なので、雇っていません。
私と妻は、それほど海外駐在で生活レベルを上げておりませんが(むしろ下がっている。。)、日本へ戻って海外で良い暮らしをしていた人たちは生活レベルを落とすのに苦労するそうです。
例えば日々の買い物も自分で行かないといけない、運転手もいない、家事も自分でやらないといけないとか。
そんな贅沢な、と思うかもしれませんが、どんな暮らしをしているにせよ、自分の生活が、どこかの誰かにとっては贅沢、というのはあり得る話です。
お風呂に入れるのだって、言う人に言わせれば、十分贅沢です。
仕事でも、海外駐在をしますと、日本でいたときよりも役職が上がるので、日本へ戻り、自由に采配を振るえないことが増え、嫌になってしまうとも聞きます。
そして、極めつけは、子ども。
海外で暮らしていた日本人の子どもが日本へ帰って車に乗る際、その子どもは車の前で立っていて自分で乗り込もうとしないそうです。
なぜ乗り込まない?
そこで、なぜ車に乗らないか子どもに聞くと子どもはこう答えたそうです。
「だって車のドアを開けてくれないから」と。
海外に暮らしていたときは、車のドアをいつも専属の運転手が開けてくれていたからですね。
子どもは素直です(笑)。
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