人は幸運の時は偉大に見えるかもしれないが、
真に向上するのは不運の時である。
byシラー(詩人)
ドイツの詩人であるシラーの名言です。
シラーの名言は以前にも紹介しました。
改めて本日の名言です。
人は幸運の時は偉大に見えるかもしれないが、
真に向上するのは不運の時である。
幸運の時は偉大に見えるけど、真に向上するのは不運の時と。
そのままこの名言を言葉通りに読むと、腑に落ちたような腑に落ちないような、何とも言えない感じですね。
幸運の時というのは、いわばスポットライトに当たっているとき。
不運の時というのは、その反対でスポットライトに当たっていないとき。
今、スポットライトに当たっている人はどんな人でしょうか。
例えばニュースでもその功績が取り沙汰されるような著名人。
インタビューにでも応えようものなら誰もがその言葉や一挙一動に注目します。
その様子はあたかも偉大に見えますよね、まさに幸運、スポットライトに当たっているときです。
でもその偉大さはどこから来ているのか。
それはスポットライトに当たっていない、不運な時の努力や頑張りから来ているんですよね。
スポットライトに当たってちやほやされているときというのは、向上している時ではなく、向上して結果が出た時です。
となれば、いつ向上したのか、それは不運な時です。
会社で言えば、よくGAFAと呼ばれるGoogle、Apple、Facebook、Amazon、日本で言えばトヨタやユニクロ、他にもsoftbankやsonyなんかも入れて良いですね、楽天とかもそうかもしれません。
そんな企業、スポットライトが当たって、偉大に見えます。
でも、なぜここまでこれたのか。
それはやはり、見えないところで、スポットライトの当たらない不運なところで、顧客の要求に応えられるように努力し、そして会社を大きくすることに創業者含め社員が一丸となって頑張ったからではないでしょうか。
不運の時に努力した結果、スポットライトに当たることはあるでしょうが。幸運にもスポットライトに当たったから努力を始めたなんてことはありません。
真に向上するのは不運の時。
幸運は不運の時の向上次第であると言っても過言では無さそうです。
話は逸れ、私の好きな戦国時代の話にはなりますが、織田信長と徳川家康。
織田信長は豪華絢爛な安土城を築きましたが、やはり信長のターニングポイントは、桶狭間の戦いや信長包囲網と言われた他国との戦を潜り抜けたこと。
そして徳川家康は、征夷大将軍になって江戸幕府を開いたこと(これも大きな功績ですが)ではなく、関ヶ原の戦いの勝利とそこに至るまでの政治的な駆け引きがターニングポイントだったのではないでしょうか。
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