あんまり誰かを崇拝したら、
ほんとの自由は、得られないんだぜ。
byスナフキン(ムーミンのキャラクター)
トーベ・ヤンソンが執筆したムーミンシリーズの本のキャラクターであるスナフキンの名言です。
崇拝、言ってみれば、尊敬もと言えると思います。
昔の自分がどうだったかあまり記憶にないのですが、今の私に尊敬している人はいません。
昔の話になりますが、就活の面接でも「尊敬している人物は誰ですか?」という質問があまり好きではありませんでした。
話は逸れますが、就活では尊敬している人物として両親を挙げる人もいると聞きましたが、これはダメな回答ですね。
なぜなら、両親に対して思うのは、尊敬ではなく感謝。
尊んで敬うのとは違います。
それに私がもしその両親であれば、親としての義務を果たしただけと思うはずです。
感謝をされて悪い気はしませんが、尊敬しますと言われた暁には、育て方を間違えたとすら思ってしまいます。
さて、尊敬、それの何がいけないのか。
もちろん厳密に考える必要は無く、私も話のついでに「尊敬してますっ!」ということは気軽に言ったりします。
そして、ふと誰と話している際でも「尊敬すべきだな」と思うことだってあります。
だから「尊敬」という言葉や気持ち自体を否定する気はありません。
ただ、「尊敬し過ぎ」は絶対良くないです。
誰かを尊敬し過ぎると、自分にとってどう悪い影響を与えるのか考えてみます。
私がパッと思いついたのは2つです。
まず1つ目は、尊敬し過ぎることで相手より自分のことを下に見てしまう、ということです。
人を尊敬すると、その人を超えることが出来るとは思えず、自分を下に見てしまいがちです。
これは良くありません。
人は人、能力や素質に差があると感じても、同じ人間ですから、実際にはそれほど大差ありません。
尊敬し過ぎずに対等の気持ちで、あの人に出来るんだから、自分にだって出来ると奮い立ったほうが良いはずです。
そして2つ目の悪い影響は、尊敬をすることで、その人の言ったことやしたことが全てが正しいと「勘違い」をすることです。
言っていることやしていることが正しいのかどうかではなく、その人が言っている、している、だから正しいと、短絡的に結論付けしてしまうようになります。
しかし、どんな人でも間違いはあります。
言っていることやしていること全てが正しい人なんていやしません。
誰だって、間違ったことをするし、間違ったことを言ったりします。
本来であれば、ちゃんとその言動の一つ一つを自分の中で良い悪いの判断をしないといけないのに、尊敬し過ぎるととそれが出来なくなります。
判断基準が言動では無く、発信をしている人になる。
この人が言ったから良い、あの人が言ったから悪い、ではいけません。
ちょっと話が自由とは関係の無い方へ行ってしまいましたが、崇拝、尊敬しすぎるのは良くないですよね。
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