人間がもうすこし利口であったならば、
戦争から生まれる悲劇を免れたはずである。
byアンドレ・ジイド(作家)
作家であるアンドレ・ジイド氏の名言です。
では果たして戦争というのが無くなった今の時代、人間は利口になったと言えるのだろうか。
世界を見渡せば、戦争というのは必ずしも無くなったとは言えないかもしれません。
しかし、戦争を身近に感じない人がほとんどだというのは事実です。
でも、だからと言って人間が利口になったと私は思いません。
戦争を起こしていたときと同様に今の人間も利口では無く、また違った見方をすれば、戦争を起こしていたのは今の人間と同じ考えや思考を持った人たちであり、どちらが利口でどちらが利口ではないというものでもないと思います。
ドイツの哲学者カール・マルクスは「歴史は繰り返す」と言いました。
なぜ、歴史は繰り返すのか。
それは人間はいつの時代だって同じだからだと思います。
起こる出来事は変わっても、事の本質は変わりません。
どうしても、最近のコロナ騒動を見ていても歴史は繰り返すと思わされてしまいます。
コロナ騒動と書いたのは、コロナウイルス自体によって人々は困らせているわけではなく、コロナウイルスに対して行った政府の防衛策によって難儀をしています。
もちろん、コロナウイルスに感染して症状が出てしまい、苦痛を強いられた方もいらっしゃいますので、全部が全部ではありませんが、多くの方がコロナに対する政府の防衛策によって苦しめられています。
私は、太平洋戦争の日本人戦没者のケースと似ていると思いました。
太平洋戦争の日本人戦没者の約6割が行軍中の飢餓や病によって亡くなりました。
敵の銃弾では無く、敵と戦う為の準備や作戦によって亡くなっていった人たちです。
そしてこの準備や作戦を指揮したのは、日本軍の上層部。
我々も後に続くと言いながら、特攻隊を太平洋へ送り出し、終戦となれば保身へ走った軍上層部。
緊急事態だ、自粛だと国民へ言いながら、自分達は普通に会食をし、自信の立場や利権を第一に考えて行動する政治家たち。
どことなく似ている気がするのは私だけでしょうか。
そして、なぜこれほどオリンピックにこだわるのか。
もしコロナがそれほどヤバい病気だと考えるのであれば、否応なしにオリンピックは延期、開催時期未定とするべきではないのかと私は思います。
オリンピックは太平洋戦争中の戦艦大和のケースに近いものだと思います。
戦争が航空機優位になっても、様々な利権や思惑によって建造され、あえなく坊ノ岬沖で沈没した戦艦大和。
様々な利権や思惑で今年決行されようとしているオリンピック。
コロナ騒動は戦争とは違いますので、それらを比較して歴史は繰り返すというのもこじつけの理論かもしれません。
それでも、私は数十年後、もしくは数百年後、この2020年から続くコロナ騒動が歴史の教科書に載っている頃、その時代を生きる人々は、この2020年について何を思うでしょうか。
私たちが歴史の教科書で戦国時代の戦や昭和の戦争の記述を見た時と同じようなことを考えるのではないでしょうか。
そしてもう一つ、このコロナ騒動を通して分かったことは、戦や戦争をしていた時代に生きていた人たちは、結局、私たちと何ら変わらない人たちで、単に私たちと同じように時代の流れに染まってしまっただけなのだと。
歴史が繰り返される理由が少しわかった気がしました。
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