人生は学校である。
そこでは幸福より不幸の方が良い教師である。
byウラディミール・フリーチェ(文芸学者)
文芸学者のウラディミール・フリーチェの名言です。
学校というのは学びの場、その学びの場で何より大切なのはもちろん学ぶ側の姿勢でしょう。
しかし、学ぶ姿勢が備わっていれば、あと大切なものは教師です。
どのような人から教えてもらうのか、それによって学びの質や量も変わってくると思います。
人生にとって最良な教師は、幸福ではなく不幸だと、ソ連の文芸学者であるウラディミール・フリーチェは言っています。
人生を学びの場に例える、これは、人生は絶えず勉強だということを意味していると思います。
なぜ人生は勉強なのか。
それは幸せな人生を送る為には学びが必要不可欠だからでしょう。
そこで、少し残酷な現実です。
幸福より不幸の方が良い教師であると。
学びの目的は人生を幸福に送る為、でも、幸福から学んで幸福に繋がることは少なく、不幸から学んで幸福に繋がることの方が多いということです。
幸福になろうと思えば、不幸をそれ相応に経験しなければならないということは、一見矛盾していることのように思えます。
でも、これは誰しも容易に頷くでしょうし、経験もある事と思います。
不幸は勉強になります。
なぜこのような不幸な状態になったのか、この不幸から抜け出すにはどうしたらよいのか、そして二度と同じ不幸な目に合わない為にはどうしたらよいか、考えます。
しかも真剣に。
なぜ真剣に考えるのか。
辛いからです。
嫌だからです。
でも幸福はどうでしょうか。
確かに、なぜ幸福になれたのか、この幸福を維持するにはどうしたらよいのか、そしてまた同じように幸福になるにはどうしたらよいか、それらを考えることは可能ですし、実際少しは考えるでしょう。
でもどれほど真剣になれるかは人によって違います。
真剣に考える人もいるでしょうが、多くは真剣には考えません。
なぜなら、今現在、既に満たされているからです。
真剣度は不幸の時とは間違いなく変わります。
そして、もう一つ私が考えるのは、人生にとっての幸福は不幸を遠ざけることにある、ということです。
人生論っぽくなってしまうのは好きではないのですが、幸福とは、何かをしたときになる状態ではなく、感じるもの。
受け取り方次第です。
ただ、幸福と思う、幸福と感じる、これらの土台としてあるのが、不幸ではない状態、もしくは何かに対してそれを不幸と思わない状態ではないでしょうか。
不幸なことを遠ざけておく、もしくは不幸なことを不幸とは思わないこと、それが即ち、幸福への近道と言えると思います。
そうなればおのずと、不幸を遠ざける為に、不幸を学ばなければなりません。
幸福になる為に不幸を学ぶ。
相反するようで、実は不幸は幸福と繋がっている、そんなことも本日の名言で考えました。
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