勝つヤツっていうのは歴史的に見ても偶然が重なっていることが多いから法則性は薄い。
むしろ、負けるヤツにこそ共通する法則がある。
それは「情報不足」「慢心」「思い込み」
だいたいこの3つなんです。
by林修
先日に引き続き、林修さんの名言です。
これには納得させられました。
歴史を見れば、勝者は運が良かったと思えることの方が多いです。
有名な戦国時代の例で言えば、織田信長では武田信玄と上杉謙信の死、豊臣秀吉の本能寺の変という青天の霹靂、そしてそれに伴う中国大返し、徳川家康は織田信長と豊臣秀吉による支配体制のあっけない瓦解。
勝者にスポットライトが当たるのは歴史上しょうがない、でも知れば知るほど、もしあれがああなっていなかったら、勝者にはなれなかったのでは?と思うことは多いです。
私の好きな漫画、花の慶次に登場する豊臣秀吉はこういうセリフを残しています。
天下人は天が決める!
この俺とて初めから天下を目指しておったわけではない
俺は信長公に憧れた…そして命賭けで信長公を追いかけた
そして信長公が亡くなった…
その時 まわりを見渡せば 俺より力の有る者がいなかった…
ただ それだけのことだった
出典:花の慶次 13巻
天次第である、と。
では敗者はどうか。
これが不思議と法則性が見つかりやすいんですね。
林修さんは、「情報不足」「慢心」「思い込み」と言っています。
歴史上、負けた側というのは敗因を取り上げられやすいので、そういった意味でも敗因はどうしても目立ってしまいますけどね。
でも勝者に情報不足、慢心、思い込みという問題が無かったのかといえば決してそうではありません。
勝者にだって情報不足、慢心、思い込みはあったでしょうが、それ以上に運があった。
負けた側は、その3つの問題の深刻さが勝者側よりも大きく、運も無かったのです。
でも、歴史を後から見て、敗者にならずに済んだかもしれない可能性を探っていくと、やはり問題点は、その3つ。
運が無くとも、そこが徹底されていたら、勝ったかもしれない、もしくは、これほどの大敗はしなかったかもしれないと思うことも多いです。
むしろ、情報は十分あって、慢心もなく思いこみもなかったのに、ただただ運が無くて負けたというケースはほとんど無いと思います。
今年の2月に亡くなった野村克也元監督も、肥前国平戸藩の第9代藩主である松浦清山の剣談の一文を使って、野球の試合後よくこう言っていましたよね。
勝ちに不思議の勝ちあり、
負けに不思議の負けなし
歴史の勝者ではなく、敗者から学ぶ。
今の時代の仕事でもそう、なぜ出世したのかよくわからない人が社内にいます。
でも、なぜ出世できないのかわからない人は、あまりいませんからね。
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