努力して良くなるなら、
世の中みんな良くなってるはずですよ。
by立川談志(落語家)
立川談志さんの名言です。
努力は必要なこと、そして大切なことだと思います。
努力はすべき、私はそう思います。
でも、努力していれば全て良しかと聞かれれば、それは違います。
努力していたら結果が出てなくても良いのか、頑張ってさえいればそれで良いのか、それは違いますよね。
でも、今の日本社会は、努力しているかどうかにだけ意識しがちです。
ただ、だからといって日本人の性格や気質だけが問題なのかというと、そうとは言い切れません。
事の発端はここ十数年に渡る情勢にもあるでしょう。
こと仕事においては顕著です。
長らく続く不況、この状況で結果を出すのは難しい。
そもそも全体の需要が減っているので、価格競争にさらされやすく、かといって価格以外でのメリットを顧客に提示できない。
高品質、小ロット、短納期は当たり前の状況で、起死回生の一手となるような提案や戦略というのはすごく難しい。
そのような中でも会社から要求される数字があるので、日々、仕事に取り組むわけですが、なかなか数字を達成するのも難しいです。
そんな中で出来ることといえば、頑張っているアピールです。
数字は達成できていないけど、さぼっていません、仕事しています、頑張っています、残業しています、のアピール。
恥ずかしながら、日本で働いていたときは、私も知らず知らずのうちにこのアピールをしていたと思います。
そしてこのアピールは”案外”評価されてしまう。
これは上司云々というよりも、そもそもの人間の性。
頑張っている人に対して、同情したくなるからです。
例えば、いつも楽に仕事をして定時で帰るAさん、数字はクリアしています。
そしていつも大変そうに仕事をして残業もしているBさん、数字はクリア出来ていません。
給与や賞与の元となる評価自体は数字に基づいて行われますが、ここで思うのは、Aさんの数字は甘いんじゃないか、楽そうに仕事をしているから次回の数字は厳しく設定しないと。
反対にBさんは、仕事を頑張っているのに数字をクリアできない、数字が厳しすぎたかもしれない、これ以上厳しくするのは止めておこう。
こう考えてしまうのではないでしょうか。
Aさんの数字を厳しく設定しようかと考える。
このこと自体は、それが楽そうに仕事をしているからという理由だけで決めなければ、決して悪い事ではありません。
会社の目的は、儲けることですから、もっと儲けてくれ、この要求は全く問題がありません。
でも、Bさんに対する判断は間違っていますよね。
頑張っているから良し、ではいけません。
それでも今の時代は、こういったことが多いですよね。
努力は、目的や求める結果への手段です。
単なる手段である努力に重きを置くのは間違っていますよね。
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