分別の肝要は仁愛で、
仁愛を本として分別すれば、
万一思慮が外れてもそう大きくは間違わない。
by小早川隆景(戦国武将)
戦国武将の小早川隆景の名言です。
昨日に引き続き、小早川隆景(こばやかわたかかげ)の名言を紹介します。
昨日の記事はこちらです↓
昨日、小早川隆景の生涯を紹介しましたが、「小早川」と聞くと、どうしても関ヶ原の戦いで東軍に寝返った小早川秀秋(こばやかわひであき)を真っ先に思い浮かべてしまうかもしれません。
関係としては昨日のブログでも少し書きましたが、隆景の子が秀秋なのですが、血は繋がっておらず、秀秋は養子として小早川家に入っています。
秀秋は豊臣秀吉の正室である高台院(別名:ねね)の甥なんですね。
元々は秀吉の養子だったのですが、秀吉に実子である秀頼が生まれた為に、小早川家に養子に出されたというのが小早川秀秋誕生の経緯です。
秀秋は関ヶ原の戦いでの東軍への寝返りも後世の印象付けに良くありませんが、小早川家に養子に入った経緯も、パッと聞くだけでは良くありませんよね。
関ヶ原で寝返った小早川秀秋、そしてその小早川秀秋は秀吉から小早川家乗っ取りの為に養子へ入れられたお坊ちゃまと。
しかし、個人的には、関ヶ原の戦いにも、そして後世の印象付けにも、何か裏があったはず、と考えています。
元々、この寝返りも予定されていたという説やすぐに西軍へ突撃していったという説もありますし、家康が一向に寝返らなかった秀秋に対して鉄砲を撃った、いわゆる「問鉄砲」、これが本当なのかどうか(私は作り話だと思います)、この話も小早川秀秋のイメージを悪くさせますよね。
関ヶ原の戦いで寝返ったのは小早川秀秋だけではありませんし、その後に若くして亡くなり、小早川家は嫡子もいなかった為に断絶しました。
なんだか、関ヶ原の寝返りという悪いイメージを全て、小早川秀秋一人になすりつけた感じがします。
「死人に口なし」とはまさにこのことかもしれません。
私にとっての小早川秀秋のイメージはドラマ「戦国自衛隊・関ヶ原の戦い」で秀秋を演じた藤原竜也さんです。
このセリフが印象的でした。
その方、余に命令する気か。余はな、世が世ならば太閤殿下の後を継いで、天下を納めているはずだった男だ。歯向かうと容赦せんぞ
むしろ、こうであって欲しいという願望に近いですね。
私はいつも歴史上の人物で、不憫なイメージを与えられた人に対しての思入れが深いんですよね、単なる判官贔屓かもしれませんが。
話が長くなりましたが、本日の名言の紹介です。
下記は私の意訳です。
判断や決断に迷った際は、自分の中でそこに相手を思う心(仁愛)があるのかどうかを考えなさい。そこに相手を思う心があれば、例え、それが良くない結果を生んだとしても、ことはそれほどまで大きくはならないし、また大きな間違いを犯すことも少ないはずだ。
判断や決断に困る事態であれば、仁愛を大切にしなさいと、いうことですね。
深い名言だと思います。
政治や外交で頭を悩ませてきた隆景は様々なことで悩んだのだと思います。
そこで大切にしたのが、仁愛や道徳心ではないでしょうか。
ふざけた感じで言うわけではありませんが、この言葉を聞いて「○○、そこに愛はあるんか」という、CMが頭の中で流れてきました。
このCM、いつも流し見する程度ですが、一度、この「○○」に自分の名前を入れて、何かの判断や決断に迷ったときに、自分自身に問いただしてみてもいいかもしれませんね。
「そこに愛はあるんか」と。
ふざけているわけではありません、私はめちゃくちゃまじめです。
人生の中で、街中のポスターや、それこそTVCM、いろいろな言葉やキャッチフレーズを聞く機会があります。
その言葉やキャッチフレーズがどういう意図で使われたにしろ、自分の人生に活かしたもの勝ちです。
悩んだとき、自分自身に「そこに愛はあるんか」と。
人に話せば笑われてしまうかもしれませんが、この判断基準はきっと良い方向に働くはずです。
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