情報が多ければ判断が楽というものではない。
byクラウゼヴィッツ(軍事学者)
プロイセン王国の軍事学者クラウゼヴィッツ氏の名言です。
何かと情報ばかりの世の中、情報が多ければ多いほど良いわけではないというのは現代に生きる人の多くが思っていることではないでしょうか。
一説によれば、現代人が一日で触れる情報の量は江戸時代の一年分、そして平安時代の一生分とのことです。
この比較の正誤性は分かりませんが、言い得て妙、それほど現代には情報が溢れていると思います。
スマホを開けば情報の山、テレビを付けても情報の山、現代人の脳は既にパンク気味と言えると思います。
情報の量は変わっても人間の脳は平安時代でも江戸時代でもほとんど変わりません。
言ってしまえば、カバンの容量は変わらないのに、荷物をどんどん詰め込んでいる状態、そりゃ疲れてしまいますよね。
疲れるだけで済めばよいですが、その情報によって気持ちが揺れ動くことも多々あります。
現代で生きていく為には、この山のような情報をどう自分の中で処理していくかが大切です、そしてそもそも情報とは何か?と再考することも必要です。
事実を情報としてインプットすることは必要ですが、事実では無い事、とりわけ、実際には必要のないものがマスコミのニュースや出来事に関する批評です。
この新型コロナウイルスによる批評や見通し、著名人の考えは多くの方がネットで読み漁った方と思いますが、役に立った記事はどれほどあったでしょうか。
もしくは3カ月前に読んだ記事で印象に残っている記事をいくつ挙げることが出来るでしょうか。
ほとんど出来ないですよね。
あっても読み漁った情報のうちの数%、もしくは1%未満でしょう、
コロナに関して、今年の2月や3月時点での記事で今なお、参考になっているものは皆無のはずです。
なぜ批評や見通しに有用な情報が少ないのか。
それは、とある事実を見方によっていかようにも歪ませて伝えることが可能だからです。
リーダーシップのある人物は、言い方を変えれば上から目線の嫌なやつです。
上司の意を汲んで動ける部下、言い方を変えればゴマすりの上手い部下です。
いつでも理論の通った意見を出す人、言い方を変えれば理屈ばかりの頭でっかちです。
事実をいかようにも言い換えることが出来ます。
ここで、しょせん人の批評はそんなもので、どうとでも言えるという面白い話を紹介します。
ロバを売りに行く親子の話です。
ロバを飼っていた父親と息子が、そのロバを売りに行くため、市場へ出かけた。2人でロバを引いて歩いていると、それを見た人が言う、「せっかくロバを連れているのに、乗りもせずに歩いているなんてもったいないことだ」。なるほどと思い、父親は息子をロバに乗せる。
しばらく行くと別の人がこれを見て、「元気な若者が楽をして親を歩かせるなんて、ひどいじゃないか」と言うので、なるほどと、今度は父親がロバにまたがり、息子が引いて歩いた。
また別の者が見て、「自分だけ楽をして子供を歩かせるとは、悪い親だ。いっしょにロバに乗ればいいだろう」と言った。それはそうだと、2人でロバに乗って行く。
するとまた、「2人も乗るなんて、重くてロバがかわいそうだ。もっと楽にしてやればどうか」と言う者がいる。それではと、父親と息子は、こうすれば楽になるだろうと、ちょうど狩りの獲物を運ぶように、1本の棒にロバの両足をくくりつけて吊り上げ、2人で担いで歩く。
しかし、不自然な姿勢を嫌がったロバが暴れだした。不運にもそこは橋の上であった。暴れたロバは川に落ちて流されて死んでしまった。
引用:Wikipedia
いかがでしたでしょうか。
ロバを引いて歩いていても、息子をロバに乗せても、親がロバに乗っても、二人でロバに乗っても、ロバを担いでも(物語の中で人に非難はされていませんが)、結局は非難されます。
この物語はよく、全ての人を納得させる難しさとしても使われますが、見方によってはその事実を何とでも言える(非難できる)ことも理解できるかと思います。
情報が溢れている世の中、このコロナ禍でも例を出せば、いろいろと言えます。
新型コロナウイルスが危険かどうか、日本の感染防止策の良し悪し、感染者数の多寡、これらはとあるデータが基になって入るでしょうが、いかようにも言うことが出来ます。
最後は本日の名言紹介から話が脱線してしまいましたが、情報が多ければ判断が楽というものではない、それに、人の意見や批評は、事実をどんな風にも言えるという点を踏まえて日々の情報を見る事が大切ではないでしょうか。
それにしましても本当に情報の多い世の中、情報を得ることが人間の本能でしょうから遮断することは難しいですし、逆に情報が無いことは人を不安にさせるでしょうが、情報を頭に入れない日を意図的に設けてリラックスすることも大切ですよね。
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