自分自身に正直であることはなんと困難なことだろう。
他人に正直である方がはるかにやさしい。
byエドワード・ベンソン(作家)
作家であるエドワード・ベンソン氏の名言です。
表現が曖昧であるがゆえに、いろいろな解釈が出来る名言です。
でも、自分自身が何を望んでいるかわからないけど、他人が自分に何を望んでいるかはわかりやすいですよね。
また他人の夢を応援する気持ちはあっても、自分の夢に対しては半信半疑になってしまうこともあります。
他人の前で良い人を演じることは出来ても、自分の本心までは騙せませんよね。
他人が羨むような成功を納めても、自分自身ではどこか納得がいかない、ということだってあります。
些細なことで落ち込む人へそんなの大したことないよとは言えるのに、いざ自分のことになると、そう言えない自分だっていると思います。
総じて、他人への在り方は簡単に演出できても、自分自身が納得する自分の在り方ってよくわからないと思います。
私も常に、こんな考え方で良いのか、こんなことしてていいのか、そして、こんな自分で良いのかというのは考えてしまいます。
ただ、この名言から少し救われるのは、結局、そういうもんなんだということ、難しい事なんだと、だから悩みながら生きていくのは至極当然なんだと思えば、心が軽くなるような気がします。
おはようございます。
先日、外出ついでに外で食事をしてきました。
まだまだ気が抜けないので、外食するレストランは風通しの良い場所を選んでいます。
本日は、ローカルレストラン↓
ローカル料理は美味しいんですが、衛生面が心配、ですが、ここは比較的まともです。
まずは飲み物オーダー。
ローカルのアイスコーヒーです。
普通のアイスコーヒーと何が違うか、右の写真に黒い粒が見えますよね、これ、コーヒーの粉なんです。
インドネシアはコーヒーの淹れ方が少し特殊です。
沈殿コーヒーと呼ばれるそうで、コーヒーの粉もドリップに使うような粗挽きではなく、細挽きか極細挽き(?)になっています。
淹れ方は簡単です、コーヒーの粉をマグカップに入れてお湯を注ぎこんで、混ぜておしまいです。
そうなんです、作り方はインスタントコーヒーそのものなんです。
しかし、重要なところが違うんですよね、そう、この粉はあくまでコーヒーの豆で、挽き方に違いはあるものの、一般にドリップかなんかで飲む粉と違いはありません。
だから、お湯に溶けません。
インスタントコーヒーと同じ要領で、混ぜて、よし出来たとばかりに飲むと、コーヒーの粉が口の中になだれ込んでくるんですね。
これ知らないで飲むと衝撃です。
だから、混ぜた後は、待って、コーヒーの粉が底に沈むのを待つんですね。
故に、沈殿コーヒーと呼ばれます。
しかし、これ、なかなか粉が沈まないので、その待ち時間が日本人ならイライラしてしまうんですよね、もういいやって思って放置して、気付いた時に飲むと、確かに沈殿し終わっているものの、コーヒーは冷め始めている、という。。。
そして沈殿していても、粉は底に残っていますから、基本は飲み干さないスタイルです。
コーヒーの淹れ方でも文化を感じさせますね、のんびりというか、中途半端というか、インドネシアはあるものをそのまま受け入れる気質が強い気がしています、日本人はもっと便利に、と正直どうでもいい事まで便利にしてしまうのですが、インドネシアはそうはなりません。
コーヒーの淹れ方を説明していましたら話がそれました。
これがアイスコーヒー(ちなみにアイスコーヒーは氷が入っており、それを混ぜながら飲むので、基本飲んでいる間はずっと粉っぽいです)と一緒に頼んだ料理です↓
ちなみに麺料理は食べ方が人それぞれです。
私は右のスープをぶっかけるスタイルです。
汁をかければ「ラーメン風」、汁をかけなければ「まぜそば風」です。
ごちそうさまでした。
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