人間は、いつも周りにいる5人の平均をとったような人になる
byジム・ローン(起業家)
類は友を呼ぶ、よく聞きますよね。
本日の言葉は表現が大胆ですが、的を得ていると私は思います。
こんな言葉もあります。
君の友人を教えてくれれば、
君がどういう人間か言ってみせよう。
byセルバンテス(作家)
周りにいる人や友人を見れば、何となくその人の人柄が見えることってあるんじゃないでしょうか。
心が優しい人のところへは心の優しい人が集まっている。
ポジティブな人のところへはポジティブな人が集まっている。
反対に、ガラが悪そうな人の元へはガラが悪そうな人が集まります。
マイナス思考の人の元へはマイナス思考の人が集まってきます。
なぜか同じような人が同じような人の元へ集まってきますが、この理由は単純です、波長が合って心地が良くて一緒にいたいと思うからです。
人は本能的に集団で生きていくという道を選び、どういう人と一緒にいるべきか、どういう人と友人となるべきかというのを自然と考えながら生きているのだと思います。
そうなりますと、誰しも心地が悪くて一緒にいたくない人には近づかないでしょうから、自然と波長の合う人に偏っていきます、一緒にいて心地よい人と友人となっていく、一緒にいて心地よい人が周りにいるようになる、これは自然の摂理です。
では、自分にとって波長が合う人、一緒にいて心地が良い人というのはどういう人でしょうか、それは、まず話が合う人です。
会話していて苦痛に感じない、楽しいから、また会いましょうとなる、これは波長が合っている証です。
会話を苦痛に感じ、楽しくなければ、また会いましょうとはなりません。
話が合ってまた会うから仲良くなる、友人になります。
反対に、話が合わず、自分から会おうとしないから仲良くなりません、従って友人にはなりません。
友人となるかどうかのそもそもの始まりは、話が合うかどうかと書きました。
知り合っているか知り合っていないかではなく、知り合っていても、友人になる人とならない人の違いの原点は、自分と話が合うか合わないかです。
ではなぜ、自分と話が合う人と話が合わない人がいるか、それは人それぞれ考えも違い、環境も違えば、大切だと考えるものも違う為だと思います。
自分と似ているから話が合う、自分と似ていないから話が合わない、一見、自分とは正反対の様に見える友人でも、どこか似ている部分はあるはずです。
ほとんど似ていないのに、ある一つの部分が強烈に似ている、なんてこともあると思います。
似たような考え、似たような環境で、互いに大切だと考えるものが同じであれば、話が合うのが普通です。
性格が全く違うのに、仲が良い友人もいるかと思いますが、性格が違うのに会話が成り立つのはどこか少なからず似ている点があるということです。
本日の言葉にある通り、人は周りにいる人とどこか似ています。
自分の友人は、誰に紹介しても恥ずかしくないと胸を張って言えれば、やはり自分もそういう人間になれていると自信を持っても良いと思います。
反対に自分の友人を紹介するのが恥ずかしい場合は、自分も同じレベルでその友人からも同じように思われていると思って良いでしょう。
人付き合いというのは不思議なもので、ずっと続くものもあれば、スッと無くなってしまうものもあります。
友人になった人で、「昔は仲良くならないタイプだったのになぁ」と感じることもあるはずで、それは自分が変わったとも言えるのではないでしょうか。
昔は仲良くならないタイプだったのに仲良くなった、これは今の自分の考えや環境がその人に似てきた、と言え、昔は仲良かったのに何となく疎遠になってしまった、ということは自分の考えや環境がその人と違ってきたと言えるのではないでしょうか。
友人に対しては、自分の友人でいてくれることに感謝し、思う存分、友情を育み、笑い合って楽しむことが一番大切なことですが、ときに、また違った目線で、その友人を通し自分を見つめなおしてみれば新たな気付きが得られるかもしれません。
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