やりたいと思ったらやりなさい。
やらなきゃと思ったらやめなさい。
by作者不詳
最近はPinterestを使って名言を探すことが多いです。
有名な名言はあまりないのですが、あまり知られていない名言や作者のわからない名言があって面白いです。
本日の名言もPinterestで拾った名言です。
やりたいと、やらなきゃは、同じように何かをしようと思っても、その気持ち出所が全く違います。
実際の生活では、やりたいと思って始めるよりも多いのが、やらなきゃという焦燥感に苛まれて始めることですよね。
ただ、この場合はほとんど長続きしませんし、得られるものも少ないと思います。
やらなきゃと思って始めたことが次第にやりたいに変わっていくこともゼロではないでしょうが、おそらく続きません。
好きこそものの上手なれというように、強制的にしている、させられていることは長く続かないですし、成果も出ないものです。
そもそも人間、やらなきゃならないことなんてそう多くはありませんし、本当にやらなければいけなことは、「やらなきゃ」と思うまでもなく、やっているはずです。
人に迷惑を掛けないようにすることは大切ですが、何もすることが無いから、何もしていないからといって、何かをする必要はありません。
そういうときは、何かしたくなるまで待っていればいいのです。
下記の名言も同じことを言っています。
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おはようございます。
先日、本を読みました。
私大好きな歴史小説作家である宮本昌孝さんの本です。
ちょうど今の大河ドラマでも注目されている光秀や帰蝶が登場します。
歴史小説の醍醐味は史実の空白をどう埋めるかなのですが、宮本昌孝さんは大胆にアレンジしており、エンターテイメント小説に近いです。
どんな歴史小説でも、光秀は必ず本能寺の変で信長を倒し、そして秀吉が中国大返しであっという間に戻ってきて、山崎の戦いで秀吉が光秀を倒す、ここは変わりようがありません。
しかし、なぜ光秀は本能寺の変を起こしたのか、なぜ秀吉は中国大返しが出来たのか、なぜ山崎の戦いでは光秀の元に各武将が集まらなかったのか、これは作者次第で物語を作ることが出来ます。
その歴史の戦や事件に至るまでの道のりは作家により千差万別です。
有名なのは、本能寺の変を起こした光秀はどのような状況に置かれ、どのような心境だったのか、言ってみれば本能寺の変に至った理由ですよね。
本能寺の変の理由はよく話題になりますよね、光秀が単独で起こしたと考えても、私怨説、野望説、四国説と様々で、黒幕がいるという線では、秀吉説、イエズス会説、朝廷説、義昭説とこれまた様々です。
個人的に興味深かったのは、明智憲三郎さんの「本能寺の変 431年目の真実」にあった信長より家康暗殺を指示されて、家康暗殺に向かうのではなく、本能寺へ向かったという説です、ただ、もちろん、真相は謎のままです。
この「ドナ・ビボラの爪」では帰蝶が歴史の表舞台に大きく関係してきます。
「ドナ・ビボラ」でググってヒットするのはこの小説だけ、ということは内容はとんでもないことになっているんだろうなぁと思ってましたが、本当にとんでもないことになっていました。
ただ、そこは宮本昌孝さんです、歴史資料に沿い、歴史の空白を上手に面白く埋めていきます。
「ドナ・ビボラの爪」もお勧めですが、宮本昌孝さんの本を読んだことが無い方でしたら、大河ドラマ「麒麟がくる」でも人気のある道三が主人公である「ふたり道三」も面白いです。
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