勉強するから何をしたいかわかる。
勉強しないから、何をしたいかわからない。
by北野武(ビートたけし)
だから勉強しろということなんですが、今一度この「勉強」について考えたいと思います。
勉強とは一体何なのかと考えればキリがないですし、私のような若輩者でも書き出せば一つの記事では書かけません。
しかし、あえて一つ挙げるとするならば、知らないことを知ることだと考えています。
勉強するということは知らないことを知ることであり、勉強したいという欲求は知らないことを知りたいと思う気持ちだと私は考えています。
子どもが勉強するのは、大人が働くことと同じ意義のように捉えられますが、そう考えると働くことと勉強することは意味が全く違いますよね。
大人になって働いていれば、知らないことを知ろうとしなくても良いかと問われれば、絶対にノーです、知らないことがあれば知ろうという姿勢をいつまでも持っていなければならないと思います。
本日の名言ですが、なぜ勉強すれば何をしたいかわかるかのかと考えますと、勉強をすれば、何がまずこの世にあるのかわかるからだと思います。
何があるか分かるから何がしたいのかも徐々にわかってくるのだと思います。
例えば、私はこういう職業につきたい、ああいう趣味を持ちたいという欲求も、どんな職業があるのか、どんな趣味があるのかを知らなければ、そういった欲求は生まれてきません。
仕事でも同じことです。
どういう業界があって、どのようなものを使っていて、どのような価値に重きを置いていて、競合他社はどのような商品を納めているのか、価格は?品質は?納期ベースは?と、このような知識があって初めて、じゃあ自分はどう営業をしようか、どういう商品を提案すれば良いのかと考えることに繋がっていきます。
勉強せずに知らなければ、営業の仕方も商品の提案も上手く出来ません。
また仕事を通して勉強になることもあるにはあるのですが、ここで大切なのは、仕事を通して勉強になったということは、単に仕事をしていく中で結果として勉強になったに過ぎません。
自ら何かを知ろうとしたわけではなく、仕事をする中で何かを知る機会に偶然恵まれて知ることが出来ただけで、自ら掴んだものではありません。
仕事の中で例えばクレームは勉強になる非常に大切なファクターです。
クレームは大なり小なり様々ですが、そのクレームを通して、自分の営業スタイルや提案の仕方、仕事の進め方、そして商品そのものについて深く勉強することが出来ます。
しかし、それでもクレームという出来事から結果的に勉強したに過ぎません。
クレームは頻繁に起こるわけではありません、頻繁に起こらないということは勉強する機会も少ないということです、クレームが起こらない限り勉強できないのでは、いつまで経っても勉強不足です。
単純に働いていても、年を経れば少しずつ勉強をしていくことになるでしょうが、それプラス自ら勉強を異する姿勢を持っていけば、後々大きな差になっていきます。
従って絶えず知らないことを知ろうという気持ちや姿勢は非常に大切です。
大人の勉強時間は一日平均6分と言われています、これは総務省の統計です。
一日のうちのわずか6分です。
ほとんどの大人の勉強時間がゼロの為、平均をここまで下げているのだと思いますが、一日の大半を、仕事か、食事か、睡眠か、休憩かで終えていることになります。
食事や睡眠は人として変えられないでしょうが、大人で最も大切な仕事は勉強と密接に関係していることですので、ここを見直さない理由はありませんよね。
仕事が大変だ、忙しい、疲れたから休まなければと思う方もいるかと思いますが、勉強をしなければ、そのやっている仕事の方法が正しいのか、間違っているのか、そもそもその仕事をやる意義するあるのか無いのか、賃金に見合っているのかいないのか、それすらも分かっていないということになります。
どんなに熱意があって、どれだけ器量に優れていても、知らなければ何も始まりません。
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