はっとさせられる言葉たち

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転んでもただでは起きるな。そこらへんの土でもつかんでこい。

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転んでもただでは起きるな。

そこらへんの土でもつかんでこい。

by安藤百福

 

 

 

安藤百福さんは日清食品の創業者です。

チキンラーメンやカップヌードルの生みの親としても有名ですが、そもそものインスタントラーメンの生みの親として世界でも有名です。

かの米紙ニューヨーク・タイムズは安藤百福さんの逝去に際し「安藤氏は人類の進歩の殿堂に不滅の地位を占めた」と絶賛しています。

日清食品と言えば、既にインスタントラーメンだけの会社ではなくなっていますが、やはりインスタント麺が有名ですよね。

既出のチキンラーメン、カップヌードル、そして、ラ王、出前一丁、UFO、どん兵衛と改めて見ても凄いラインナップです、2007年には明星を子会社にしたことにより、明星のブランドであるチャルメラ、一平ちゃん、中華三昧も加わったことにもなりますので、まさにインスタント麺の代表企業で市場のシェア50%以上という断トツの市場シェア率です。

そんな大企業の日清食品を興した安藤百福さんですが、今日の日清食品の元となったチキンラーメンの開発は1957年、安藤百福さんが47歳の頃にスタートしています。

それまでも繊維事業や幻灯機の製造、炭焼き事業、バラック住宅の製造、製塩、学校の設立など様々な分野で成功をおさめ、実業家として活躍をしていましたが、戦後にGHQから脱税の嫌疑をかけられたことに始まり、巣鴨留置場に2年間収容され、そして釈放後には理事長を務めていた信用組合が破綻します。

驚くことにこの時点で安藤百福さんは借家を残し、無一文となってしまいました。

しかし無一文となっても「失ったのは財産だけ。その分、経験が血や肉となって身についた」と奮い立たせたそうです、物凄い強心臓ですよね、私だったらそのような考えには、とてもじゃないですがなれません。

しかし、安藤百福さんは今までのチャレンジ精神で得た経験からそのような考え方になれたのだとも思えます。

インスタント麺に商機を見出し、開発をスタートさせたのはまさにこの時でした。

ヒントは戦後に闇市で見た、ラーメン一杯を食べる為だけに人々が並んでいた光景だったそうですが、いかんせん無一文、インスタントラーメンの開発は自宅敷地内に立てた小屋で行っていました。

当時は既に終戦直後とは食糧事情が異なっており、一杯のラーメンに並ぶようなことはなかったそうですが、インスタントラーメンの需要(当時インスタントラーメンという単語は無かったですが)はあるはずだと考え、寝る間も惜しんで開発に着手したそうです。

安藤百福さんはラーメン作りに関しては当然素人だったはずですので、これもまた物凄いバイタリティですよね。

そして1年の開発期間を得て誕生したのがチキンラーメンです。

お湯をかけて2分で食べられるというのは当時では画期的な食品で、うどんや乾麺よりも高価にもかかわらず、爆発的にヒットしました。

今のインスタント麺は安さが売りになっている面もあるので、高価な点は少々驚きですよね、また当時は栄養面も重視され、チキンラーメンは栄養価の高い食べ物として厚生省にも認められ、妊産婦の健康養補給商品とされていたようですから、現代からすればこれも驚きです、卵を載せて食べるのも栄養面を考えれば理にかなっていたというわけです。

そしてチキンラーメンの販売をスタートさせた当初はまさにテレビの普及が始まった時代でもありましたので、ヒットの要因の一つにTVコマーシャルも挙げられます。

今でも日清食品のTVコマーシャルは斬新ですよね。

このようにチキンラーメンのヒットには数々の要因が重なったわけですが、始まりは無一文の安藤百福さんがスタートさせた開発に他なりません。

その後、安藤百福さんはアメリカへの進出時に現地のアメリカ人がチキンラーメンを紙コップに入れて食べていることをヒントに、カップ麺の開発に乗り出します、そうです、「カップヌードル」の誕生です。

カップヌードルは日本発祥の世界に誇れる食べ物ですが、ヒントはアメリカにあったのでした。

その後はご存知の通りの躍進です、途中チキンラーメンの商標問題やカップライス(カップヌードルのライス版)の失敗もありましたが、こういった様々な問題を乗り切ることの出来る経験が、安藤百福さんにはチキンラーメン開発当時から備わっていたのかもしれません。

本日の名言はそんな安藤百福さんの名言ですが、名言の解説よりも安藤百福さんの歴史を知っていただきたかったので紹介した次第です。

日清食品の創業者の名言という位置付けではありますが、この名言の元となる精神はチキンラーメンの開発以前の経験からきているような気さえしてしまいます。

名言通り、そこら辺の経験という名の土をつかんで活かしていったのが、安藤百福さんの人生だったような気がします。

 

 

 

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