社会というところは、短期間に見ればアンフェアなところもある。
しかし、長期的に見れば必ずフェアなものだ。
それだけに努力さえしていれば、必ず誰かひとりは見ていることを忘れるな。
by紀田順一郎(評論家)
評論家である紀田順一郎さんの名言です。
社会はアンフェアである。
しかし、それは短期的には、であり、長期的に見れば決してアンフェアではない、フェアなものだと。
この名言に似ている言葉は何度かこのブログでも紹介しました。
これは志村けんさんの名言です↓
日々生きていると、アンフェアだと思うことは山のように多いと思います。
なんで?と思わずにはいられないことが毎日あります。
でも社会はもともとそういうものだと思えば何とも思わなくなります。
それよりも、長期的に見れば社会はフェアなものだということを忘れずに前を向いていたいです。
誰にも見られていないから、誰にも知られていないからと言って手を抜いてしまってはいつかしっぺ返しが来ます。
例えば、嘘をつくという行為。
嘘も方便という言葉もあるので嘘の良し悪しについては一概に言えませんが、とある場面で嘘を付きなんとかその場を乗り越えたとします。
それでもその場だけは何とかなっても、後々嘘がバレてしまったら?もしくは同じような場面で嘘を付いてそれが相手に見透かされてしまったら?
あとはズルいこと。
ズルいことをしてその場限りで成功を収めたとしても、そのズルさが嘘と同様にバレてしまったり、次の時はそのズルさが通用しなかったりもします。
良くないのは、嘘やズルさで一度成功を納めると、次の時も同じ手段を用いようとしてしまうところです。
嘘やズルさでうまいこと切り抜けただけに、一度失敗してもそっちに流れてしまい、どんどん自分の顔に泥を塗っていきます。
あと、わかりやすい例を思い出しました。
それは、列の横入り、割り込みをする人です。
あれってイラっとしますよね。
イラっとしても何となく注意しづらい、注意して何か言い返されて嫌な気持ちになったらと思うと、やっぱり注意は出来ませんよね。
私は注意しません。
やはり、何か言い返されて余計に嫌な気持ちになりたくないからです。
私は横入りをされたと感じたとき、その人を「かわいそうな人だ」と思うようにしています。
誤解を恐れずに言うと、横入りをする人は間違いなく幸せな人生を歩んではいないからです。
横入りをしてもいいよ、なんて教わる機会はどこにもありません。
そんな中で横入りをするという人は日々の言動でも他人を不快にさせることをしているはずです。
そうなれば、決して良い人間関係なんて築けないですよね。
目の前で起きる横入り、それは決してその人がその場に限って横入りをしたわけではなく、言ってみればその人の人生では普遍的な行為です。
となれば、やっぱり人生上手くいくはずがありません。
最近、横入りをされて嫌な気持ちになったわけでもないのに、本日は何だか横入りについていろいろ論じてしまいました。
ブログランキングに登録してます。
応援宜しくお願いします。