「負けました」といって頭を下げるのが正しい投了の仕方。
辛い瞬間です。
でも「負けました」とはっきり言える人はプロでも強くなる。
これをいい加減にしている人は上に行けません。
by谷川浩司(将棋棋士)
将棋棋士である谷川浩司さんの名言です。
淡々とした名言ですが、考えてみると深い意味のある言葉です。
「負けました」と言って頭を下げるのが正しい、と言うからにはやはり、そうではないプロもいるということでしょう。
「負けました」と言って頭を下げるのはすなわち「負けた」ということを自分自身に認めさせ、その現実と向き合うということを意味しています。
従って、「負けました」と言わなかったり、頭を下げなかったりするのは、負けを認め切れていない自分がいるということです。
この「負け」を認めるということが大事なのだと思います。
負けを認めない限り成長はない、なぜなら負けは自分に何か足りなかったり、修練すべきことが出来ていなかったからです。
負けを認めないのは、自分には足りていない点などない、修練すべきことはちゃんとできている、と誤認することに繋がります。
負けを認め、そしてそれを更に活かすことが次につながるということでしょう。
後悔はしないけど、ちゃんと反省はする。
私も見習っていきたいです。
おはようございます。
9月も終盤に入り、今週末からは10月です。
あっという間に毎日が過ぎ去っていく感覚です。
プライベートな話になりますが、10月の日本本帰国を控え、諸々の片付けに追われています。
片付けにだけ追われていればまだマシなのですが、仕事も重なってくるのでいろいろと厄介です。
そんな中、日課の週末テニスが先週で最後でした。
こちらの生活の中で数少ない趣味そして運動ですので出来ることなら帰る直前までやりたかったのですが、土日は片付けなどに費やしたかったので、ついにラストとなりました。
インドネシアへ赴任して7年、そのうちの6年は毎週テニスをやっていました。
我ながらよく続けられたものだと思っています。
練習量は全く比較になりませんが、6年間と言えば中学と高校の部活と同じ期間と言えます。
私は中学で軟式テニスをやっていて、その3年間の練習量には全く匹敵しませんが、期間で言えば軟式テニスより硬式テニスの方が向き合っている時間は長かったんだなと。
何だか変な感じです。
結局、最後の最後まで硬式テニスで憧れていた両手バックハンド(軟式は基本が片手です)は全く上達せず、サーブの精度もイマイチのまま。
唯一経験者っぽく打てるのはフォアハンドぐらいです。
私は背があまり高くないので基本的にボールは上へ向かって打つのですが、それだとドライブを掛けないと相手コートに入りません。
そのドライブですが、押し込まれるとどうしても打ち方がナダルっぽくなってしまい、下手なくせにナダルの真似をしてる奴っぽくなってしまいました。
日本でテニスを趣味にすると出費も大きいので、目先は考えていませんが、いつかまた再開したい趣味ではあります。
6年間も同じミスを続けても笑いながら打ち合ってくれたインドネシア人のテニスコーチには感謝です。
最後にそのコーチへ餞別を渡したのですが、封筒を持って近づいていった時点で察したらしく、渡す前から「ありがとう、ありがとう」と言って普通に受け取りました。
あぁ、駐在員が本帰国で辞めるときに餞別を渡すっていうのは、普通の事なんだと察しました。
餞別の金額が妥当だったかどうか気になった最後のテニスでした(笑)
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