事を遂げる者は愚直でなければならぬ。
才走ってはうまくいかない。
by勝海舟
勝海舟の名言です。
勝海舟の名言は以前にも紹介しました。
勝海舟の名言は好きです。
表現が面白いと思います。
本日の名言、「事を遂げる者は愚直でなければならぬ。才走ってはうまくいかない。」。
才走っては事は遂げられない、愚直でなければと。
本来、何かを大きなことをしようと思えば、「才」が必要だと思ってしまいます。
でも勝海舟は、それは違うと言っています。
言い換えれば、才走ればかえって愚直になれないということかもしれません。
なぜ才走れば愚直になれないのか、それは才走ってその愚直さに意味が無いと考えるからです。
才走る、ちょっと極端な捉え方になりますが、それは意味の無いことはやらない、意味のある事だけをしようとするということと同義だと思います。
今で言えば、コストパフォーマンスが悪いことはやらない、コストパフォーマンスが良いことだけをやると言っても良いのかもしれません。
でも、何に意味があって、何に意味が無いのか、それを事前に決めつけられるほど人は賢いものでしょうか、もしくは一人の人間がそう簡単に決めつけられるものであれば、なぜその「事」は今まで誰も成し遂げられなかったのでしょうか。
誰もが価値を見出せなかった事を地道にやる、もしくは道のりが遠すぎて安易な道に走った人が大勢いたようなことを愚直にやる、これが「事」を為すのに大切なのでしょう。
おはようございます。
私事ではありますが、仕事の話をしたいと思います。
何度も書いていますが、私はインドネシアの工場に駐在している駐在員です。
駐在員は私1人ではなく、以前は3人。
社長、工場長、そして私でした。
そしてこの社長の話です。
社長は日々の言動に問題があり、解雇となる予定でした。
そして、昨年の4月で社長交代が決まったのですが、そこからコロナ禍に突入、そこからコロナに乗じて社長が社長交代の引き延ばしを画策していったのであります。
以前にもこの経緯はブログで雑記として書きました。
そして、これもブログに書いたことですが、工場長が退社し、社長と私の二人体制になったのが今年の3月。
そして今年4月の私の一時帰国を挟み、ついにやっと、5月に新社長が来イ(イはインドネシアという意味です)、7月に社長交代が実現し、8月末に前社長が日本へ帰りました。
いろいろありました、一人の人間が策を弄し、こうまで会社が振り回されるとはといった感じです。
前社長が帰ってインドネシアのコロナ規制も緩和されたので、先日、新社長と祝杯をあげてきました。
名付けて、「やっと帰ったぜ!お疲れ様会」です。
大人げない?いいえ、それほど難事だったとお考え下さい(笑)。
事の始まりはコロナ禍に突入した昨年4月、インドネシアで最初の感染者はコロナ陽性の日本人と接触したインドネシア人からでした。
当時は、インドネシアへコロナを持ち込んだのは日本人という風潮で、インドネシアに暮らす日本人の多くが外出を控えていました(何もなかったですけどね)。
その時に前社長が社長交代に際し「このタイミングで日本から人を寄こすと風評被害で何が起こるかわからない、もし感染していてそれが発覚したら工場閉鎖になってもおかしくない、社長交代延期を」と本社へ通達。
本社もそれを了承したのが始まりでした。
そこからコロナ禍に伴い新規ビザの発給停止などがあり、前社長はそのあたりの情報を上手く使い、且つ嘘ではないレベルで話を煽り、どんどん先延ばしていきました。
そして今年に入り、このまま前社長に任せていると埒が明かないとして、現地スタッフと本社が直接やりとりして手続きを進めさせ、5月に新社長が赴任、5日間の強制隔離と14日間の自主隔離を終えて出社を開始、引継ぎは1カ月、これで一件落着という事態にまで来たのが7月。
しかし、最後の最後にまた駄々をこねて、帰国には準備が必要、2週間欲しいと。
泣く泣く本社も了承、もう最後だからええか、と。
それから毎日午前10時出社の午後2時帰りという意味不明な出社スケジュールで、会社ではコーヒーを飲みながらネットサーフィン、そしてタバコを吸うか、寝ているかという状態。
何がしたいのか全く分からなかったのですが、後々判明したのは、結局、滞在期間を延ばして給料を少しでも多く貰いたいという魂胆でした。
うちの会社の駐在員の給料は本社と現地の会社からのダブル。
本社の給料とは別に現地の会社からの給料はあくまでも赴任期間に準じるものなので、どうにかして赴任期間を延ばしたかったようです。
そしていよいよ帰国目前の7月初旬にある事件が起こりました。
それはインドネシア政府より、ワクチン未接種者の国内移動を禁ずるという通達でした。
むちゃくちゃですよね。
ワクチンを打ってない人は空港へも行けない、すなわち自分の国に帰ることすら許されない、という。
しかし普通に考えれば、インドネシアでこんな通達は日常茶飯事で、すぐに改定されるだろうと多くの日本人が考えていました。
しかし、前社長はこの情報を掴んだ時点でフライトをキャンセル。
「こんな状況では帰れない」の一点張り。
翌日には予想通りに改定(空港への移動はワクチン未接種でも問題ない)されたのですが、改めて航空券を予約しようと思ったところ、既に満席という。
そこで最短日を予約をしたのですが、その帰国前にもまた問題が発生したのです。
それは帰国前のPCR検査(日本入国には陰性証明書が必要)です。
なんとそこで、その前社長のコロナ陽性(ほぼ無症状)が発覚しました。
前社長はいつもマスクを付けてなかったのでありえない事ではなかったのですが、なぜこんな測ったようなタイミングなのかと。
そこで前社長に電話を掛けると、既に一人酒盛りの真っ最中。
「もう、しょうがないよね、コロナだもん。どうしようもないよ~、ごめんね。みんなも感染しているかもしれないからチェックよろしく~」と呂律も回らず盛大に飲んでいました。
コロナ感染で日数が延ばせて給料を多く貰えると嬉しかったのでしょう、呆れて言葉も出ませんでした。
コロナ陽性になって喜びのあまり酒盛り。。。ありえない。
そして前社長の帰国は2週間の再延期(無症状だし2週間経てば陰性になるだろうと)となりました。
この時、まだ帰せないのかという落胆もあったのですが、正直私と新社長は、こんな身近な人が陽性になったら我々も陽性なのでは?と心配になったのでした。
そして翌日、市内の病院でPCR検査を受けるという流れになったのでした。
結果は無事に二人とも陰性で、しばらくコロナ陽性の前社長は会社には来れない、とりあえず2週間はあの人の事を考えないでいようと、そう前向きに捉えたつもりでした。
この時、新社長は既に前社長と一緒に住んでいた社宅を出てホテルへ移動していたのですが、実はここでも問題が起こっていたのです。
前社長のコロナ陽性が発覚し、新社長はこの時点では手に入りにくかったパルスオキシメーターを確保し、社宅の前社長の部屋の前に置き、1日に3回、血中酸素飽和度を報告してくださいとメールで依頼。
しかし、この依頼に前社長が怒り出しました。
「パルスオキシメーターは既に持っている。報告して何の意味がある。会社が何かしてくれるのか。なぜそこまで監視されなければならない」と部屋を飛び出して新社長の部屋のドアへパルスオキシメーターを投げつけるという愚挙に出ました。
日頃から何をするかわからない前社長なので、そこで新社長は社宅脱出を決意し、翌日に私のアパートで合流、病院でPCR検査へという流れだったのでした。
この時、なぜパルスオキシメーターを投げつけたのかという問い合わせ(CCで会社幹部含む)に対しての回答が「投げてはいない、うっかりして部屋の前で落としてしまった」でした。
しかし、その後の別メールで「あの時は少々大人げないことをしてしまいました」と。
完全に矛盾してる。
うっかりしてものを落とすという行為は大人げないことなのでしょうか、本当に落としただけなのでしたら、そんなことを言うはずがないですよね。
そんなこんなでとりあえず2週間の帰国延期が決まり、会社へ出社もしないということになったのですが、外出できない為に何度スタッフが社宅までビールを運んだことか。。。
そして2週間経ち8月初旬、念の為の抗原検査も無事に陰性となり、やっと帰せると思ったところ、また事件が発生したのです。
またまた帰国前のPCR検査、これまたなんと再度の陽性。
抗原検査では陰性なのに、PCR検査では陽性という結果に。
抗原検査の正確性もあるかもしれんが、この時の見解は、抗原検査は幅広くウイルスを拾うので擬陽性が出やすい、ただ拾うウイルスは生きているウイルス。
PCR検査の場合はコロナウイルスのみを拾うが、死んだコロナウイルスも拾うと(細かいことはわかりませんが)。
実際、PCR検査の数値はギリギリ陽性レベルの数値で、完全に終わりかけという状態でした。
そしてまた帰国延期。
しかしこの時、会社としても社長交代を終えたのに相変わらずビザのステータスチェンジが終わっていない(社長のステータスは前社長が保有)として、ビザの書き換えも行う必要が出てきました。
すなわち、新社長をちゃんと社長というステータスにし、前社長を社長以外のステータスにしなければいけないという問題で、これもまた日数が掛かりました。
最終的に、前社長はテクニカルアドバイザーという役職に変更(ぶっちゃけ何もテクニカルなものは持ち合わせておらず、8年もいたのにインドネシア語もしゃべれない)。
その時のビザ更新時の証明写真がメールで入ったのですが、久しぶりに見る前社長の顔。
果たしてこのとき何を想ってこの写真撮影に臨んだのか。。。
そして最後の最後に帰国前のPCR検査、三度目の正直で無事に陰性で日本へと帰ってくれたのでした。
この前社長の社長交代延期の画策によって経費も大幅に掛かり、とてつもない労力が必要でした。
言葉に出来ないようなこともまだまだあったのですが、ここでは控えます。
引継ぎの際の顧客訪問で前社長は「やっと本社の許可がおりましてね。ようやく日本へ帰ることが出来ます」と。
それを聞いた私はと言えば、まぁそう言うわなと思いつつ前社長の顔を二度見したのでした。
そして今週、本社へ出社し、予定通りに解雇されたという情報が入ったのでした。
-終-
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