少(わか)くして学べば壮にして為すことあり、
壮にして学べば老いて衰えず、
老いて学べば死して朽ちず。
by佐藤一斎(幕末の儒学者)
幕末の儒学者である佐藤一斎の名言です。
生涯を通して学ぶことの大切さ、そして学ぶことはタイミングも何もなく、どんな時に学んでも必ずそれは活きてくる、そのようなことを伝えたかったのだと思います。
「少(わか)くして学べば壮にして為すことあり」
これは、子どもの時に学んでいれば、大人になってからその学びが活き、何か出来ることがある(増える)、と。
「壮にして学べば老いて衰えず」
これは、大人になってからも学べば歳をとっても衰えない、と。
「老いて学べば死して朽ちず」
これは、年老いてからも学べば、自分が死んでも自分の名や自分のしたことは残っていく、と。
このような意味だと思います。
何歳になっても勉強することは大切だよ、と。
わかってはいても「はいはいそうですね」と聞き流してしまいますが、本日の佐藤一斎の名言のように書かれると、少し立ち止まって考えたくなります。
個人的に大切だと思うのは「壮にして学べば老いて衰えず」です。
大人になり仕事をしていると、それだけで満足してしまいます。
仕事をしている=ちゃんと頑張っている、と捉えがちです。
間違ってはいないと思いますが、子どもの頃は勉強が仕事のようなものでした。
子どもの勉強は義務教育に沿って何かを覚えたり、計算したりではありますが、でもあれは間違いなく勉強です。
そう考えると、子どもの頃はあんなに勉強していたのに、大人になってから勉強しなくなったなぁと思うことが度々あります。
子どもの仕事は勉強!と言いますが、じゃあ勉強は大人にとって何なのかと。
仕事しているから、勉強は必要ないのか、と。
いやいや必要ですよね、勉強は。
そもそも仕事ってお金を稼いでいるに過ぎません。
子どもの仕事は勉強!、でも仕事なら休みがあって然りなのですが、私が子どもの頃、勉強に休みという概念はありませんでした。
時間があれば勉強する、それが不文律でした。
もちろん勉強中でもサボってましたよ、でもそれは大人が仕事をしながらサボったりするのと同じです。
そう考えると、大人の仕事も子どもの勉強と同様に手を抜いたりサボったりできる、そしてその上で大人には休日がある。
休日返上で仕事をするという例を除けば、子どもの勉強と同様に大人も仕事をサボれるし、しかも休日もあるという。
そう考えると、大人って良い身分ですね(笑)。
ちょっと話が脱線してしまいましたが、先日、ネットニュースで富裕層の子供のお小遣いという記事を読んだのです。
その記事の結論として、富裕層の子どもはお小遣いが少ないということだったのですが、一般の子どものお小遣い、平均で月1000円ぐらいでした。
私もそういった時期はあったのでしょうが、一目見て「少なっ!」と思いました。
うちの会社にはお小遣いが月1万円という先輩がいて、可哀そうな目で見られているのですが、それでも子どもの小遣いの10倍です。
大人の場合、どこまで小遣いで賄うのかというのもあるとは思いますけどね。
1万円で10倍です、小遣い2万円なら20倍。
果たしてこれは勉強しないのと同様に妥当なのかどうかといったところです。
さっきも言ったように、大人は仕事をしているとはいえ、子どもも勉強をしています。
そして大人は休日もある、と。
そして今考えると、学生時代は「部活だ勉強だ」で自分の時間もろくになかったように思います。
休みがあるだけ今の方が楽なような気さえしますので、この小遣いの差を見て、果たして大人の仕事にはそれほどの価値があるのかと。
小遣いを10倍以上も貰う権利はあるのか、小遣い同様に、仕事していれば勉強をしなくても良いのかと思ってしまいます。
小遣いは抜きにしても(笑)、やっぱり仕事をしているから勉強はしなくて良いとはならないと私は思います。
学生の頃に思ったのは、絶対に大人の仕事の方が楽だということ。
だって勉強と同様に仕事もサボれるだろうし、ちゃんと休日もある、と。
これはやっぱり当たっていました。
でも見事にあっけなく外れたものもあります、しかも生半可なレベルではなく。
それは、仕事のストレス。
これだけは外れました、ものの見事に。
しかも社内事情や社内の人間関係によるものが案外大きなストレスなのだと。
話が急展開ですみませんが、結論、勉強は子どもだけではなく、大人もすべき、そして子どもの小遣いと大人の小遣いの差はあまりにも大きい、でも仕事のストレスのことを考えたら何とも言えないと、そしてストレスの原因を考え出すと、もうわけがわからなくなると。。。
我ながら、最後全くまとまっていないブログになってしまいました。。。(笑)
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