はっとさせられる言葉たち

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順逆二門に無し 大道心源に徹す 五十五年の夢 覚め来れば 一元に帰す

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順逆二門に無し

大道心源に徹す

五十五年の夢

覚め来れば

一元に帰す

by明智光秀

 

 

 

明智光秀の名言、辞世の句です。

昨日も明智光秀の辞世の句を紹介しましたが、こちらも同じく辞世の句と言われているものです。

昨日紹介した明智光秀の辞世の句はこちらです。

昨日の和歌とは違い、本日の辞世の句の原文は漢詩です。

和歌と漢詩、それぞれで辞世の句があると聞くと、ますます後世の創作感が出てしまいますが、本日の名言も昨日紹介した和歌の辞世の句と同じくらい良いものだと思いましたので、紹介させていただきました。

さて、こちらの辞世の句。

順逆二門に無し 大道心源に徹す 五十五年の夢 覚め来れば 一元に帰す

意味がよくわかりません。

まずはオフィシャル(?)な訳です。

修行の道には順縁と逆縁の二つがある。

しかしこれは二つに非ず、実は一つの門である。

即ち、順境も逆境も実は一つで、窮極のところ、人間の心の源に達する大道である。

而してわが五十五年の人生の夢も醒めてみれば、全て一元に帰するものだ。

出典:西教寺 明智光秀公辞世句

そして歴史小説家である吉川英治さんの訳がこちらです。

たとえ信長は討つとも、順逆に問われるいわれはない。

彼も我もひとしき武門。

武門の上に仰ぎかしこむはただ一方のほかあろうや。

その大道は我が心源にあること。

知るものはやがて知ろう。

とはいえ五十五年の夢、醒むれば我も世俗の毀誉褒貶に洩れるものではなかった。

しかしその毀誉褒貶をなす者もまた一元に帰せざるを得まい。

吉川英治さんは謎が多い本能寺の変を引き合いに出していますね。

本能寺の変を引き合いに出せば昨日紹介した辞世の句と似たようなものになります。

私なりにこの漢詩の辞世の句の解釈をいろいろと探してみたのですが、やはりコレと言った解釈は無さそうでした、本能寺の変での信長の「是非も無し」と似ていますね。

昨日に引き続き、私なりに解釈をしてみます。

世間は世の中で起こることを「良いこと」と「悪いこと」に分類する。

しかし、この「良いこと」と「悪いこと」の分類は、単に世間から見ればということだ。

それはすなわち世間という一方的な見方で分けているに過ぎない。

従って物事をそのような物差しで測るべきではない。

大事なのはそれを起こした人物が何を思い何を考えて起こしたのか、だ。

そこを見誤れば、すなわち物事の本質を見失うということになる。

そして、物事の本質が「良いこと」と「悪いこと」ではなく、

その人の思いや考えに終結するのと同様に人の一生にも一つの終結がある。

それは「死」だ。

人の一生は様々だ。

そして人は存命中に様々なことをし、それに対して周りはとやかく評価をしたがる。

しかしその人物の存命中の評価など当てにはならない。

亡くなって初めてその人の真価がわかるのだ。

物事の良し悪しは、その人の思いや考えに終結する。

そして、人の生き様は、その人の死によって終結するのだ。

この訳、正しいか間違っているかと言えば、多分間違っているでしょう、上手く訳せない。

前半の「順逆二門に無し 大道心源に徹す」と「五十五年の夢 覚め来れば 一元に帰す」を繋げるのが難しいです。

でも、吉川英治さんの訳も面白いですよね。

本能寺の変は、光秀が起こした信長への謀反と言われますが、光秀は信長の部下でありながら、志の本筋は、将軍や天皇のご意向にあったと思えば、それは謀反でも何でもありません。

課長の意向を無視して、部長や社長の意向に沿った行動を起こしたと言えるのかもしれませんね。

 

 

 

おはようございます。

昨日に引き続いて、本日も明智光秀の名言を紹介しました。

昨日の「麒麟がくる」の最終回、面白かったですね。

所々、消化不良の箇所はありましたが、大河ドラマで描ける歴史への精一杯の抗いだったような気がします。

歴史小説でもそうですが、史実は変えられません。

戦国時代から江戸時代への移り変わりを覇者別に並べれば「織田信長→豊臣秀吉→徳川家康」で、この順序を入れ替えたり、別の人物を入れることは出来ません。

「麒麟がくる」で言えば、どれほど明智光秀に肩入れしたって、山崎の戦いを「明智軍の勝利」で終えることは出来ません。

明智光秀の最期、定説では山崎の戦いで敗れ、居城である坂本城を目指して落ち延びる途中、落ち武者狩りの百姓に竹槍で刺されて落命、もしくはそれが致命傷となり、自害をしたと言われています。

従って明智光秀は、その時点から史実には登場しません。

今回の「麒麟がくる」で明智光秀の最期を描こうと思えば、その落ち武者狩りでの落命エピソードを無視することは出来ません。

しかし、生きていたという可能性を持たせたければ、やはり今回の「麒麟がくる」のような描き方がベストになるのでしょう。

また私はこの最終回で、山崎の戦いに至るまでの明智光秀の苦悩や自身の計画が崩れていく様をどう演出するのか楽しみではありましたが、それらは一切省かれていました。

省かれていたのは残念でしたが、明智光秀のイメージを保ちながらの演出は難しいでしょうから、省いたのが正解だったのかもしれません。

また最後のシーンでも、私は「生存説」を採用したと考えましたが、駒が見たあの光秀は「幻」だったとも捉えられるので、視聴者の判断を任せる演出も良かったです。

足利義昭の使い方も良かったですよね、本来、足利義昭は京都から追放されて歴史の表舞台から消えるのですが、最終話まで重要なポジションを占めていましたから、この描き方も良かったです。

そして「麒麟がくる」の「麒麟」、これが誰であるのかを光秀は明言しなかったのですが、やはりこれは「徳川家康」で間違いないでしょう。

印象的だったのは、徳川方の忍びである菊丸へ、「私が勝っても負けても~」とあったように、自身の戦の勝敗がどうであれ、徳川家康の力が今の日本には必要で、家康こそが麒麟なのだと明言したようなものでした。

今回の大河ドラマ「麒麟がくる」。

コロナ禍を駆け抜けた大河ドラマで、コロナによる中断や、思うようなシーンが撮影出来ないと思われるシーンも多々あり、中だるみと思われるシーンも多かったのですが、今回の役者起用は素晴らしく、人物描写も従来の歴史物とは一線を画して良かったですね。

今作を超える光秀はもちろん、信長、秀吉だってなかなかいないでしょう。

この「麒麟がくる」は、いつかまた見てみたい大河ドラマで、歴史の面白さを伝えた良作と言えるものだったと思います。

ありがとうございました。

 

 

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