完全に絶望するということは、
もうそれ以上は落ちない「底」に着いたということ。
つまり、本当の絶望は、壁を乗り越えるための復活の始まりでもある。
by津本陽(作家)
小説家の津本陽さんの名言です。
絶望は復活の始まり、良い名言ですよね。
絶望した時は、とても辛いですが、それ以上は落ちない底にいるということ、復活の始まりとも言えますね。
人生は曲線だと思うことが多いです。
上へ行ったり、下へ行ったり、です。
適度に上へ下へ、ではなく、上へ行くときは上へ上へと昇っていき、逆に下へ行くときはそれこそ、下へ下へです。
まさに波のようですね。
下へ向かった曲線もいずれ、上へ向いて昇っていきます。
絶望はこの曲線が下に下がりきった時です。
絶望しているときは何も考えられません、こんな名言を思い出す暇もないでしょう。
でも、やっぱり忘れずにいたいですね、絶望こそ、復活の始まり、さぁここからと心新たに進みたいものです。
おはようございます。
ついに先日、私が働いているインドネシアの工場でもコロナ感染者が出ました。
私は騒ぎ立てるスタッフを横目に特に驚きもせずに、心境は至ってシンプル、「そりゃそろそろ出るわ」でした。
私の工場の従業員は約300人。
工場内でのコロナ対策は政府からの指導に則ったもので、例えば出勤時の検温、工場の至る所に消毒液を設置、就業中はマスク着用などを行っていました。
工場内での対策に不備があったとは思わないです。
ただ、この国、インドネシア、街に出れば皆マスクをほとんどせずに、道端で集まってワイワイ話し合ってる姿を幾度となく見かけます。
年中温暖な気候なので、感染しにくい環境ではありながら、そりゃ感染するわという有様が日々繰り広げられています。
そんな状況ですから、私は特に驚きもしなかったですし、ひょっとして既に私も感染して抗体を持っているんじゃないかと思うときもあります。
よく体調が悪くなったら無理をせずに云々、、、と言われますが、体調はマスクを常時付けているせいで、基本悪いのです、午後から片頭痛を引き起こし、怠くなることがしょっちゅうです。
そんな日常的に起こる体調不良のいずれかがコロナだったということも十分あり得るので、内心、もう抗体持っとるやろ俺、的な感じです。
そんなこんなでバタバタした朝の事務所。
慌ててマスクを付け始め、諸毒液を手に塗りたくる事務所のスタッフたち(事務所はルールが緩いんです)を見て、呆れながら今さら遅いぞと。
そしてまた何かバタバタしてるなと思ったら、今度は事務所を消毒するとのこと。
事務所ではなく発覚した工場現場から消毒しろよと思ったが、消毒液でモノが濡れるので、プリント等は引き出しに入れて下さいと言われバタバタ。
そこで目を疑うようなことをしだすスタッフがいた。
なんと、自分の机にカバーをかけだしたのでした。
カバーを掛けたら消毒の意味が無くなるだろう。。。
ま、これに関してスタッフは、すぐさま自分の行いがおかしなことに気付いてやめたのですが。
そして私は一時的に外へ避難することに。
事務所の外でボーっとしながら、業者でも早速呼んだのかと眺めていたら、普通にうちの従業員がタンクを背負ってやってきた。
どうやら、その背負っているタンクの中に消毒液が入っているらしい。
でも、どこかであのタンク見たことあるぞ。
そうだ、あの除草剤が入っているタンクだ。
入れ替えたのだろう、きっと中身を入れ替えたのだろう。
しかし、入れ替えたつもりが、そばにあった除草剤のタンクを間違えて背負ってきた可能性がゼロではないところがこの国の国民性。
果たして、そのタンクは消毒液だった。
このタイミングで事務所を消毒することに意味があるのかどうかというのも第一の疑問だったが、とりあえず、事務所に除草剤は撒かれなかったようで、安心したのでした。
先が思いやられる毎日です。。。
ブログランキングに登録してます。
応援宜しくお願いします。