ドン・キホーテは読書によって紳士になった。
そして読んだ内容を信じたために狂人となった。
byバーナード・ショー(作家)
作家であるバーナード・ショー氏の名言です。
ドン・キホーテに倣った面白い例えですよね。
今や「ドン・キホーテ」というと、あのディスカウントストアのイメージです。
「ドン・キホーテ」はお店の名前で、その名前の語源は知らないという人も多いと聞きます。
せめて「ドン・キホーテ」っていうのは本、物語の名前なんだと、驚安の殿堂ドン・キホーテは、本の名前から取ったんだと、それぐらいは知っておくべきですよね。
ドン・キホーテの物語を簡単に紹介しますと、「騎士道物語」という本が好きで読み耽っていた田舎のオジサンが、自分は本物の騎士だと勘違いし、旅に出る話です。
記憶が曖昧ですが、老馬にロシナンテという名前を付け、サンチョ・パンサという従者を連れ、その辺の田舎の娘をドルネシア姫と呼ぶ、巨大な風車を巨人に見立てて戦ったり。
最後は自分が妄想に取りつかれていたことを悟り、昏睡状態に陥り、やがて死ぬという。
自分は騎士だと勘違いして、田舎娘を姫と呼んだり、宿屋を城、その宿屋の亭主を城主と見立てたり、面白さとともに最後は切なさと言いますか儚い感じもする物語だったのを覚えています。
本日の名言通り、ドン・キホーテは読書によって紳士になったのかもしれません。
しかし、読んだ内容を信じてしまった為に、狂人となりました。
もちろん、実際の生活において、本の内容を信じて狂人にまでなることは無いでしょうが、本の内容を信じ過ぎることは良くないと言えます。
本を読むことで、知恵や知識が付き、勉強になる事は間違いありません。
でも、それは読書から得られる知恵や知識を自分の中に取り込んで上手く消化するから意味がある。
食事でもそうですよね、食べて、それが消化されてエネルギーになるから意味があるのであって、美味しい不味いを抜きにすれば、食べ物そのものに意味はありません。
食べて消化して始めて自分の糧となります。
読書も同様に、読んでその知恵や知識を自分の中に落とし込み、蓄積する、そこで意味が生まれます。
しかし、書いている通りにそれを信じ過ぎてしまえば、心や精神までも支配されてしまいます。
私は読書が好きなので、一つ、読書をする中で意識している事があります。
それは、ツッコミながら読むということ。
いやいや、それは言い過ぎだろう、とか、本当にそうなの?、とか、疑いながら読むことです。
今では自然とそうなっています。
完璧な人など存在しないように、完璧な本など存在しません。
なぜなら、人が書いているから。
良書と呼ばれる本でも、間違っている考えや、必要性の薄い項目もあります。
どんな本でも、参考にしてはいけない考えや意見は結構あります。
この本のこの箇所とこの項目は好きだけど、それ以外はあんまり…
この人の本で、この考えは好きだけど、こっちはあんまり…
というのは、あって然るべきだと思っています。
そういう意識で本を読めば、それほど信じきることは無いですね。
もちろん、こう書いていながら、かつては自己啓発本の内容を丸々信じきって、痛い思いをしてきたんですが。
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