他人の痛みはわかってやりながら、
自分の痛みは決して他人に悟らせようとしない。
あの人は何の理屈もなくそういう武士道を生きた人だったんです。
by壬生義士伝(小説)
小説「壬生義士伝」の名言です。
先日、テレビ東京の「午後のロードショー」で映画「壬生義士伝」が放送されていました。
本日のブログタイトルは作品にちなんだ名言紹介をさせていただきましたが、本日はこちら「壬生義士伝」という作品の紹介をしたいと思います。
私は小説を読んでいたものの、映画は見たことがありませんでした。
約3時間、少し長いかなと思ったのですが、面白かったです。
映画も3時間と長かったですが、小説の方がさらに長く、主人公である吉村貫一郎への思入れもまた深くなるので、やっぱり小説がお勧めです。
主人公の吉村貫一郎は実在の人物でありながら、資料が少なく、実態は謎に近いのです。
著者の浅田次郎氏も丹念に資料をあたっているのでしょうが、キャラクターに関しては、創作に近いと私は思います。
小説の中の吉村貫一郎は、南部盛岡の出身、貧しい家族を養う為に脱藩して新選組に入隊します。
吉村貫一郎は学問や剣術に優れていますが、方言丸出しで、国自慢と家族自慢を延々と繰り返すような田舎侍、そして何かにつけてお金を多く貰おうとする守銭奴で、人を斬る理由が自分が死にたくないからという。
「お金が欲しい、死にたくない」
そう話す姿から、侍というイメージからかけ離れた人物です。
しかし、物語が進むにつれて、この「お金が欲しい、死にたくない」というのは大事な義を通そうとした一人の侍の姿なのだとわかってきます。
是非ともお勧めの小説ですので、ネタバレは避けたいのですが、少しだけ。
物語は、吉村貫一郎が新選組として鳥羽伏見の戦いに参加して敗走、南部藩の大坂蔵屋敷へ逃げ込み、命乞いをするところから始まります。
命乞いをする相手は、かつての親友で主君でもあった大野次郎右衛門なのですが、必死の命乞いも通らず、切腹を命じられます。
これ以上生きることが叶わないことを知った吉村貫一郎は落胆します。
しかし、この命乞いが叶わなかった落胆は自分が生きたいという思いからではなく、これ以上、故郷に残した家族を養うこと出来ないということからの落胆でした。
そして憎い演出が、映画では控えめな表現だったのですが、切腹の際、切腹用に用意された立派な刀を使わず、この刀は息子に渡して欲しいという文を書き添え、戦いに参加して切ることもままならないボロボロの刀を使って自ら自分の体を痛みに耐えながら長い時間を掛けて斬って死に絶えたのです。
自分が生きられないとわかり、死の直前まで家族への義を貫いて亡くなった吉村貫一郎。
胸が熱くなった作品です。
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