はっとさせられる言葉たち

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広く知れ渡っているという理由で間違いが真実にはならず、誰にも知られていないという理由で真実が間違いにはならない。

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広く知れ渡っているという理由で間違いが真実にはならず、

誰にも知られていないという理由で真実が間違いにはならない。

byマハトマ・ガンディー

 

 

ガンディーの名言です。 

今の情報社会から目を覚ます(?)為には非常に良い名言だと思います。

皆が知っていることは正しくて、皆が知らないことは間違い、ではありませんよね。

他にも、皆がしていることは普通で、皆がしていないことは普通じゃない、これも違いますよね。

でも、やはりマジョリティの側に「正」を求めてしまう、考えがそっちにいってしまうというのは仕方がないことだとは思います。

我々の祖先は、群れで集団をしてきた類人猿、猿であります。

マジョリティの考えに賛同するのが群れで生き残る術、となれば、これは人間の本能です。

大衆の意見が正しいと思うのも当然と言えば当然ですね。

でも、大衆の意見や行動が正しいとは言えないというのは歴史が証明していますよね。

なぜヒトラーという存在が生まれたのか、それは大衆の支持を受けたから生まれたのです。

大衆が支持をしなければヒトラーが生まれることはありませんでした。

従ってアウシュヴィッツの悲劇も生まれなかったかもしれません。

生んだのは、大衆の支持です、マジョリティの意見と行動です。

このことを見ても、大衆の意見や行動が正しいとは言えないというのがわかるかと思います。

国民主体、民主政治、と、聞こえは良いのですが、それが正しい答えを導くかどうかというのは別問題です。

多数決がいつも正しいとは限りません。

そもそも、多数決がいつも正しいのであれば、法律も要りません。

国民の大多数の本能の赴くままに何をしても良いのでしたら、無秩序な社会が生まれてしまいますからね。

話が脱線してしまいましたが、広く知れ渡っているという理由は、広く知れ渡っているというだけで、それが真実かどうかは別の問題ですよね。

誰にも知られていないから間違っているというのも基準としては間違っています。

でも、それを判断基準にしてしまうことって気付かないところで意外と多いと思います。

みんながしている、だから自分もしなきゃ。

みんなしていない、だから自分もしなくていい。

人は皆、するしないの判断基準を他の人がしているかしていないかを頼りにして決めることが多いです。

でも、その他の人も、同じ人間、迷う際は他の人を見て決めているわけです。

そうなれば、事の正否なんて何もあったもんじゃありません。

所詮はそんなものなのです。

だからこそ、事の正否は、誰かがしているしていないかに関係なく、自分で決めることが大切だと思います。


 

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