行き詰まるのは重荷を背負っているからではないわ。
背負い方がいけないだけなの。
byレナ・ホーン(ジャズ歌手)
ジャズ歌手のレナ・ホーンさんの名言です。
原因は「事」にあるのではなく、「事」の捉え方にある、ということですね。
重荷と背負い方、良い表現だと思います。
この名言と似た名言をいくつかブログにて紹介させていただきました。
要は捉え方次第ということです。
捉え方次第で、普通の事も良いことになり、悲しいことも普通の事になります。
なかなか難しい事ではありますが、まずはどれをどう捉えるか、そこに着目したいですね。
おはようございます。
先日、大使館にてパスポートの切り替えを行い、その際に撮った写真を下記のブログに載せました。
この時、空を見ながら、空はコロナなんて関係なしにいつでも青いなと、ポエマーみたいな気持ちになってしまいました。
今、コロナによって引き起こされた問題について、この大変な問題は、誰のせいでもない、悪いのはコロナ、という考えが広まっている気がしています。
しかし、私は疑問に思います。
コロナはウイルスです。
人を病気にして辛くさせたり、時には人を死に至らしめることもあります。
ただ、行動制限やマスク着用、諸々の自粛、それによる経済損失というものは人間がしたことです、しかも自ら。
もちろんコロナが無ければこれらの問題は起こらなかったでしょう。
これらはいわば新型コロナウイルスに対する人間社会の防衛策によって引き起こされました。
コロナに感染して病床にある方を除き、今、私達はコロナで大変なのではなく、コロナに対してこの人間社会の、正しくはこの人間社会が選んだ防衛策によって大変な世の中になってしまったと考えるのが正しいのではないでしょうか。
防衛策は必要です、しかし、今、コロナで大変なのか、それとも、コロナに対する防衛策で大変なのか、どうでも良いことかもしれませんが、これをちゃんと自分の中で分けて考えることは必要じゃないかなと思います。
そしてこの防衛策は2020年に生きる私たちが自ら選んだものです。
このコロナが20年前だったら?50年前だったら?それとも100年前だったらどうでしょうか。
その時の人間社会が選んだ防衛策は今の形とは違ったはずです。
文明を築き、発展を遂げ続けた人間社会、後になって今のこの防衛策が正しかったと言えれば何よりですが、私達が今大変なのはコロナというウイルス自体ではなく、2020年の人間社会がコロナに対して防衛策になると信じて作り出した規制、ルールに他ならないと思っています。
私たちが苦しんでいる多くの事は、間接的ではあってもコロナというそれ自体では無く、それに対する防衛策、そしてその防衛策は2020年の人間社会が作り出した規制やルールだということ、この違いを捉えずに「コロナがコロナが」というのは筋違いだと最近よく思います。
本日の雑記は、コロナ関係なしに綺麗な空の青さが、私にこんなことを考えさせたという話でした。
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