仕事に限らず何でもそうだけど、
「おれ、頑張りました」ってところが見えてしまうようではまずい。
頑張ったとか、努力したということを、ことさら強調する奴がいるけど、
それって手品で、すぐさまタネあかしをしてしまうのと同じじゃないのか。
いとも簡単にやっているようで、
実はその裏で血のにじむような努力と完璧な準備があるからこそ、
金を取れるモノになるわけなんだから。
by志村けん
今まで志村けんさんの言葉を時折紹介していましたが、本日でラストです。
ブログの最下部に今までに紹介した志村けんさんの言葉を紹介した記事を載せておきます。
本日の言葉ですが、志村けんさんの言葉と聞いた時点で「あぁそうだよなぁ」と思ってしまうと思います。
志村けんさんはコント一筋で生きてきた人ですが、晩年はトーク番組にも出演し、また雑誌のインタビューや、著名人からプライベートではどんな人だったか語られる機会も増えていましたので、志村けんさんがテレビや舞台でのコントとは裏腹に、素はとてもまじめな方で努力家、誰と話すときも敬語を使って話す、そして少しシャイな方だというのは有名でした。
この言葉がドリフターズ全盛期で素顔を知られていないときであれば驚きもあったかもしれませんが、今となってはまさに「さもありなん」ですよね。
何度かブログにも書いていますが、私は志村けんさんが大好きでした。
そんな志村けんさんは今日からちょうど3カ月前の3月29日に亡くなられました、死因はご存知の通りです。
人の死についての話はあまりしたくありませんが、有名な方が年齢によって第一線を退き、テレビで見なくなったなぁと思って数年後に訃報が流れるというのは、憚りながらよくあることです。
しかし、志村けんさんの場合は違いました、現役のまま、皆の記憶に今尚ありながら亡くなられました。
亡くなられた後に朝ドラも放送されました。
ビートたけしさんが言われたように、志村けんさんは売れたまま、皆の記憶に残ったまま逝きました。
ビートたけしさんは「何もこれ(コロナ)で逝かなくても」という言葉に続けて「でも、売れたままいなくなるのだから、逆に幸せかもしれない」と言いました。
その言葉を聞いたときは、いや、そんなことはない、私の中ではひたすらに、なぜ?なんで?という思いばかりで、ビートたけしさんの最初の「これで逝かなくても」という言葉は痛いほどわかりましたが、その後に「逆に幸せかもしれない」という言葉は即座に理解できるものではありませんでした。
同時代を共に生きた方ですから、志村けんさんや芸能について、私なんかは到底考え及ばない次元で志村けんさんを偲んでいるのだなとそのときは思いましたが、ここ最近、志村けんさんの事を考えると、確かにビートたけしさんの言う通りのような気がしてきました。
志村けんさんはおそらくもっといろんなことをやりたかったと思います、ただ、売れたまま逝くのと、忘れ去られてから逝くのでは、おそらく前者を選んだんじゃないかなと勝手に考えています。
志村けんさんの言葉を何度このブログで紹介するんだと思われるでしょうが、それほど私は志村けんさんが好きでした。
志村けんさんと同時代を生きることが出来たことに感謝です、あの笑いにどれだけ救われたかわかりません、本当に感謝しきれません。
下記の記事も志村けんさんの言葉ですので、本日で志村けんさん言葉は区切りということもあり、載せておきます。
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