行動は必ずしも幸福をもたらすわけではありませんが、
行動がなければ幸福はありません。
byベンジャミン・ディズレーリ(政治家)
以前にも似たような言葉をブログで紹介していますので、そちらもご覧いただけたらと思います。
行動して幸福になる、これは理屈としてはわかりますよね。
悩んだけど行動して良かったなぁという、この気持ちです。
そして、行動しても何も変わらなかった、良い結果に繋がらなかったということも経験あると思います。
本日の言葉は、行動を起こさなければ、間違いなく幸福にはなれないと言っています。
図式としては、行動する=幸福or何も起こらないor幸福ではない、行動しない=何も起こらないor幸福ではない、となると思います。
なぜでしょうか。
それは、行動を起こさないことで仮に良い結果になったとしても、何もしなくても良かったという結果論だけが残り、幸福という気持ちには至らないからだと思います。
何もしていないのに結果的に事なきを得た経験は誰しも人生の中にいくつかあったでしょうが、おそらくほとんど覚えていないと思います。
だって幸福になっていないですからね、結果的に事なきを得た出来事をいつまでも覚えているはずもありません。
行動を起こす起こさないというのは、以前の記事でも申し上げた通り、物事の捉え方の違いです。
主体的に物事を捉えたか、捉えなかったの違いです。
行動していれば主体的に捉えた、行動していなければ主体的に捉えていなかったと言えます。
主体的に物事を捉えていれば良い結果の場合は幸福になる、しかし、主体的に捉えていなければ同じように良い結果となっても幸福にはなりません。
ここまで書きましたが、最終的に行き着く先は以前のブログの記事内容に近くなってしまいますので、下記に引用します。
下記の抜粋は、「やってしまった後悔はだんだん小さくなるけど、やらなかった後悔はだんだん大きくなる。」からきています。
結果的にやってしまった後悔は後から小さくなっていきますが、やらなかった後悔は後から大きくなっていきます。
これはおそらく行動をしたかしなかったかの違いからだと思います。
同じ後悔でも、やってしまった後悔というのはその時において自分の中で結論を出し、結果として行動に移せたということになります、しかし、やらなかった後悔というのは、自分の考えがあったにしろなかったにしろ結果的には何もしなかったということで自分を責め続けるのだと思います。
やってしまった後悔は言うなれば、自分の中で結論を出して行動に移したけども結果的には何もしなかった方が良かった事、やらなかった後悔は、何もせず動向を見守ったものの結果的に行動に移した方が良かった思える事だと思います。
やってしまったということは少なからず、自分がその状況に対して主体的に入っていくことが出来たと言えますし、結果的には良くなかったとしても、自分の判断力や能力が足りなかったからだと諦めが付きますが、やらなかったということは主体的に何もせず動向を見守った、言うなれば神頼みに近かったわけで、それが良くない結果となれば、却って自分が主体的に入っていけば状況を変えることが出来たのではないかと思ってしまいます。
やっていれば結果は変わったかもしれないと思ってしまうのがやはり後悔を後々まで引きずる原因なのだと思います。
やってしまえば、でもあの時はそれが正しいと思って動いたんだから”しょうがない”と、そう考えることも出来ます。
下記のような名言もあります。
待っているだけの人達にも何かが起こるかもしれないが、それは努力した人達の残り物だけである。
byエイブラハム・リンカーン(第16代アメリカ合衆国大統領)
何もしなくても、時折、得るものはありますが、大したものは得られないと、そう捉えることも出来ると思います。
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