私のものさしで問うのではなく、
私のものさしを問うのです
byお寺の掲示板
ものさし「で」問うのではなく、ものさし「を」問う、いろいろ考えさせられる言葉ですね。
何かを見るとき、私たちはどうしても自分の知識や経験からそれを見ようとします。
この知識や経験が「ものさし」です。
従って、何かを見て「良い」と思えたら、それは自分の知識や経験上で見れば良いもの、「悪い」と思えたら、それは自分の知識や経験上で見れば悪いものと言えます。
この「ものさし」は人によって変わります。
しかし、ものさしは異なっても、「良い」「悪い」という言葉には違いがありません。
他人から「良い」と言われたら良さそうな気がしませんか?
他人から「悪い」と言われたら悪そうな気がしませんか?
でも、それはその人の知識や経験上では良い、悪いと思われるものであり、「良い」のではなく、同じように「悪い」のではありません。
そう考えますと、他人の「良い」「悪い」は簡単に信用できないとわかります。
ここまでは何となくわかると思います。
他人の評価は気にせずに、自分の目でしっかり見る、自分のものさしを使って判断しなければ、と思いますよね。
本日の名言は、そこまで考え、その上で改めて自分のものさしも疑ってみましょうということです。
上記に書きました通り、「ものさし」は自分の知識や経験です。
一概に「良い」「悪い」と判断しても、自分の知識やどれくらい多いのか、自分の経験がどれほどのものかと考えますと、ひょっとしたらこの「良い」「悪い」の判断は間違っているかもしれないと思い直すことが出来るのではないでしょうか。
他人のものさしを当てにするのも良い判断方法とは言えないのと同様に、自分のものさしを当てにするのもどうかというのがこの言葉の趣旨だと思います。
だったら、何を当てにすれば良いのかとなりますが、ここで私の考えを述べさせていただきますと、「この判断は間違っている可能性がある」といつも思いながら、物事を判断していくことが大切だと思います。
先程、他人のものさしも自分のものさしも当てにはならないと書きましたが、だったら何事にも判断をしないという選択肢は取れないと思います、毎日は判断の連続です、判断や選択をしないと何も進みませんので、結局は他人のものさしか自分のものさしで判断していくことは避けられません。
しかし、心のどこかでこの判断は間違っているかもしれないと、思っていることが大切だと思います。
一度「良い」と判断したものでも、「悪い」と判断したものでも、心のどこかでそれが間違っているかもしれないという考えを残しておく、これだけでも日々の生活は変わってくると思います。
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