大変な時は、
「大」きく「変」わるとき。
チャンスなんです。
by島本麻衣子(ヨガインストラクター)
要は捉え方だ!って感じがして面白いですよね。
誰しも大変な思いはしたくないに決まっています。
しかし、「大変」という字は、確かに大きく変わると書きます。
大変な時期というは人の成長にも大きく関係するとは思いますが、この言葉を知り、まず思ったのが、意外かと思われるかもしれませんが、今のコロナ禍における世界情勢です。
新型コロナウイルスの影響は特に欧米諸国で大きく、大変な状況です。
このコロナ禍で感染された方や亡くなった方のことを思えば、大変なときっていうのは大きく変わるときとだと軽々しく口に出来ないのは分かっております、しかし、今回の新型コロナウイルスを乗り越えた先で、欧米諸国はまた一段と大きく変わっていくと考えられます、働き方や医療含め、人生への捉え方も以前とは変わるでしょう。
しかし日本含むアジアや、私が住んでいるインドネシアもそうですが、東南アジアはどうでしょうか。
この新型コロナウイルスが終息することで、日本ではリモートワーク、テレワークなど新しい働き方が見直されることは事実でしょうが、今でもコロナ慣れして外出をしている方が増え、大変だと捉えていない方が大勢いる現状を見れば、将来、同じようなウイルスが蔓延した時、今回と同じような状況に陥ると思われます、コロナ禍の経験を活かして乗り切れるほどは日本は変われないと思っています。
私が住んでいるインドネシアでも同じです、気候の為か感染者が突発的には増えない為、対岸の火事と考えている方が大半ですので、この経験を糧に何かが発展するということはありません、自国の医療体制が不十分なまま終息すれば、医療面を見直す機会にもなり得ません。
今回の新型コロナウイルスの終息時に欧米諸国は「乗り切った」と言えるでしょうが、アジアや東南アジアは「過ぎ去った、耐えた」と捉える方が的確です。
大変なことを経験して、人が大きく変わっていくように、国も大変なことを経験して大きく変わっていきます。
なぜ欧米諸国やアジアがここまで発展し、東南アジアやアフリカが途上国と呼ばれる程に格差があるのかと言えば、変わる必要があった国々と変わらなくても何とかなった国々の違いだと私は考えています。
大変なことを経験した国と経験しなかった国が格差を生んでいます。
私が住んでいるインドネシアは年中半袖で暮らせる温かい国です。
温かいので凍え死ぬこともありませんし、果物も豊富な国で飢え死にすることも少ないです。
紫外線が強く、多くの菌が生きていけない為、インフルエンザ等もそこまで流行しません。
医療面や社会保障が不十分なままであるのは、変わる、変えていく必要に迫られなかったからと言えます。
身近な例で言えば米もそうだと思っています。
インドネシアの米は総じて美味しくありません。
日本米の美味しさは格別です。
なぜ日本米が美味しいのか、それは品種改良を繰り返してきたからです。
ここからはあくまで私の推測ですが、日本の米の品種改良は主に寒さに強い品種を作ることが目的で始まったのですが、いつしかその品種改良の知識や技術が美味しさにも波及したのだと考えています。
しかし、インドネシアはどうでしょう、年中温暖な気候ですから、品種改良を行わなくとも、米が問題なく育つ為、品種改良を行う必要が無かったと言えます、だから私はインドネシアの米は日本米に比べて美味しくないのだと考えています。
本日の名言からだいぶ趣旨はそれてしまいましたが、大変な時は大きく変わっていく機会と言えると思います。
インドネシアは新型コロナウイルスの影響はまだ小さいです。
新型コロナウイルスの被害は、小さいに越したことはないですし、私自身、このまま小さく済んでくればと願っていますが、インドネシアという国が、変わる機会を逃したことには変わりありません。
欧米諸国と東南アジアとの差は、今までの歴史の中の大変な出来事の有無により開き、そして今回の様な出来事によってまた差が広がっていくという気がしてなりません。
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