いろんな人たちを遊びの場で見てきた。
思うのは、人生は不公平だってこと。
若い時からずっと恵まれている人もいる。
急上昇して急降下する人もいる。
ずっと恵まれない人もいる。
ただし、ひとつ言えることがある。
ずっと恵まれてみえる人は、みな必ず「努力している」ことだ。
例外なくね。
by志村けん
人生は不公平と、私はそう断言できる年齢ではありませんし、まだまだ若輩者です。
自分の身の丈に合ったことを言いたいとは思っていますが、人生は不公平だと思います。
人生には不公平だと思えることに溢れています。
しかし、大なり小なりどんな人にも波はやってきます。
その波をうまく掴むかどうかがまず第一にあり、そしてその後、良い波が来なくても耐える力、波を自ら起こす力、小さな波を大きくする力などが必要になるのだと思います。
本日の名言は、ずっと恵まれている人ではなく、ずっと恵まれてみえる人としています。
ずっと恵まれている人なんて存在せず、いるのはずっと恵まれて「みえる」人、ずっと恵まれているわけではないのに、ずっと恵まれているようにみえるのは何故か、それは努力をしているからだと、そう捉えることが出来ると思います。
志村けんさんが亡くなられてからちょうど一月経ちました。
亡くなられたのは1カ月前の3月29日で、ニュースになったのは翌日の3月30日でした。
もう1カ月かと思う人もいれば、まだ1カ月かと思う人もいるかと思います。
私の中ではもう1カ月か、という感じです、私の中で志村けんさんが亡くなられたことを実感するにはまだまだ時間が掛かりそうです。
志村けんさんの追悼番組が様々なテレビ局から放送されています。
改めて志村けんさんのことを知る機会となっています。
私の中で後悔していることがあります。
それは、ここ数年、特に会社に入って働き始めてからは志村けんさんの「だいじょうぶだぁ」や「バカ殿様」が放送されていても、見る機会が減っていました。
テレビを付けてちょうどやっていたら見るという感じで、今となってはもっと見ていれば良かったと思います、今から後悔しても遅いですが、やっぱり後悔してしまいます。
そして一度は見に行きたいと思っていた志村けんさんの「志村魂」等の舞台です。
子どもの頃あれだけ憧れていたのに、結局は一度も行けずじまいでした。
やはり後悔するぐらいであれば自分の欲求に従って思いのままに動いた方が良かったと実感させられました。
そして上記に書いた志村けんさんの追悼番組、時折見ていますが、あれほど志村けんさんに憧れていたのに知らないことばかりだなぁとつくづく思わされました。
私はドリフ世代ではなく言うなれば、だいじょうぶだぁ世代、バカ殿様世代、志村けんはいかがでしょう世代とでも言えばいいのでしょうか、「東村山音頭」や「カラスの勝手でしょ」はほとんど記憶にありません、じゃんけんの「最初はグー」の考案者が志村けんさんだった言うことも知りませんでした。
何も知らなかった自分にショックでした、何が憧れの志村けんさんだという思いで恥ずかしさで一杯です。
それでも志村けんさんのことが好きだった、大好きだった、これは胸を張って言えます。
時折、このブログでも志村けんさんの言葉を少し意識して紹介させていただきます。
集められるだけ集めて志村けんさんの言葉をこのブログにて紹介したいと思っています。
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