花はその花弁のすべてを失って果実を見いだす。
byR・タゴール(インドの詩人)
花が咲いている姿は誰が見ても美しいものですが、その姿にずっと留まっていれば、果実になることはありません。
花は美しい花弁を散らせ、果実になります。
一つの姿に執着していれば、果実を実らせることはありません。
花が花弁を散らせて果実を実らせるようにように、人も何かを成し遂げる為には今の自分から脱却する必要があります。
今の自分を肯定して努力を継続することで脱却でき、何かを成し遂げることもあるでしょうが、ときに今の自分を否定しなければ脱却できないこともあるかと思います、むしろそちらの方が多いかもしれません。
自分の否定というと大きな括りにはなりますが、具体的には、今の自分のやり方を変える、今の自分の考え方を変える、今まで作り上げてきたものを壊して一から作り直す等が挙げられます。
人は自分を否定したくはありません、今の自分を含めて今までの自分は間違っていたと自ら認めることになりますからね。
否定したくないからこそ、否定することに意味があります、今の自分には成し遂げられないからには、今の自分を変えるしかありません。
だから、ときには自分を否定することも必要なのです。
否定するのは嫌ですし、簡単ではありませんので、その際に私が大切だと思っていることは(私だって出来ているわけではありません)、今の自分のやり方、考え方、作り上げてきたものは、ひょっとしたら間違っているかもしれないと、心のどこかで考えておくということです。
自分は正しいんだという考えや思いしかなければ、冷静な判断が出来なくなりますし、引き返せないところまで来てしまうことだってあります。
何かをするには何かを変えないといけない、だったら何かを変えなければいけないと思ったときに、少しでも変えやすいように、言い方はおかしいですが、少しでも今の自分を否定しやすいように、心の持ちようを整えておく、これは大切なことだと思います。
今やっていることを必要であれば変える覚悟、今までの自分を否定する覚悟を持って物事を進めていきたいですし、人生を歩んでいきたいものです。
花が咲いたままでは、果実は実らせられない、果実を実らせるためには、花弁を散らせ今の姿から変わるしかないというのは、花の一生を人に例える表現で、さすが詩人といったところでしょうか。
他にも捉え方によっては、果実ばかりを追い求めれば、花弁の美しさに気付くことはできないと解釈しても面白いかと思います。
本日のR・ダコールの言葉の真意はわかりませんが、そういった捉え方でも勉強になる言葉ですね。
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