仲直りした友人と、温め直したスープには気をつけよ
byスペインのことわざ
本日のイメージ写真ですが、何となく訳ありな二人に見えましたので、使わせていただきました。
仲直りした友人と普通の友人、温めな直したスープと普通のスープ、この違うは何でしょうか。
一見、普通の友人や普通のスープと変わりません。
仲直りした友人と接してみても、温め直したスープを飲んでみても特に変わったことはありません。
しかし、一見普通の友人やスープと変わらないように思えますが、少し「訳あり」です。
その友人とは一度仲違いをしています、そのスープは一度冷めています。
スープに関しては、やはり味が少し変わっている可能性がある、もしくは飲んだ後にお腹を壊してしまうかもしれない、だから気をつけよ、という意味は分かるかと思います。
従って、この「仲直りした友人」について考えてみます。
しかし、考えてみますと言いながら、既に予想がつく方もいらっしゃるかと思います。
それはどのように友人との仲が修復されたにせよ、何か大きな理由があって仲違いしたという事実は変わらない為です。
仲違いの程度をどう考えるかですが、単なる言い合いやケンカではなく、年単位で口を利かない期間があったと考えれば、想像しやすいかと思います。
ここまで考えれば、そもそもどう仲直りしたのかが気になるところです。
両方互いに謝った場合、これはおそらく互いの本心から仲直りしたいと思ったのでしょうから、片方から謝る場合に比べて良いでしょうが、やはり表面上は何もなくても互いに仲違いしていたという事実を忘れることは出来ませんので、何かちょっとしたことで簡単に瓦解する可能性があります。
仲違い状態から仲直りする、これは過去の自分を否定するという形に近いですので、仲直りした後でも相手の言動を過剰に捉えてやっぱり昔の私の考えは間違っていなかったんだ、あいつはダメな奴だとなりやすいです、もちろんそれを十分理解した上で気を付ければ(相手に不快な思いをさせないよう)良いのでしょうが、果たしてその関係はもう友人と呼べるのでしょうか、といったところです。
そして、片方から謝った場合、これはまず相手が自分を利用する可能性があります。
仲違いしたのに近づいてくる、何か理由があって近付くのですから、容易に信用は出来ないですよね。
仮に片方が心から申し訳なく思って謝った場合、前述の利用しようとして謝ってきた場合よりはマシですが、片方は自分から謝ったという自覚があり、もう片方は謝られたという自覚があります。何かの言動に際し、謝った方は「なんだよ頭下げたっていうのに」と考え、謝られた方は「なんだよ、謝ってきたから許してやったのに」と考えがちになるかと思います。
このことわざは少々残酷ですが、これは事実と思われます。
もちろん互いの努力によって良い関係を生涯に渡って築くことも可能でしょうが、一度仲違いをするということについては十分理解し、仲違いした後の仲直りにも十分注意して関係性を築いていかなければなりませんね。
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