五月雨は露か涙か時鳥(ホトトギス)
わが名をあげよ雲の上まで
by足利義輝(あしかが よしてる)
昨日の大河ドラマに関する雑記で触れた足利義輝の辞世の句です。
辞世の句とは、死を目前にして詠んだ俳句の事を言います。
この言葉は「降りしきる五月雨は露だろうか、それとも私の涙であろうか。ホトトギスよ、どうか私の名前を天高く上まで広めてくれ」という意味と捉えられています。
思わず心に来てしまいますよね!!
と言いましても、足利義輝の生涯と最期をご存知ではない方は、「?」だと思います。
「ん?泣いている?」「自分の名前を広めてくれ?」「意味わからん、泣いていて自分の名前を広めてくれ?何をした人なの?」という声が聞こえてきそうです。
彼の生涯と最期を知り、そして改めてこの辞世の句を知ると足利義輝の無念さが感じられ、この生涯と最期にして、この辞世の句と唸らずにはいられません。
さて、足利義輝の生涯を簡単に振り返ります(諸説あり)。
足利義輝は、昨日のブログにも記載しました通り、室町幕府十三代の将軍です。
1536年に、十二代将軍の足利義晴の子として生まれたのですが、世は混乱期ですので、幼いながらも政治的な争いに巻き込まれていくことになります。
この頃の将軍は既に形骸化につつあり、主君と部下であっても、部下に好きなようにやられていました。
部下同士の争いにもどっちに付けば自分に有利か考えないと生きていけない有様で、あるとき、義晴(義輝の父)が付いた部下が内部争いに敗れ、親子で近江へ逃げる始末、そしてほどなくして父の義晴が亡くなり、義輝は十三代将軍となります。
父の義晴もそうでしたが、子の義輝も将軍復権に力を入れ、精力的に動いていきます。
もちろん名ばかりで力もない将軍、やれることはたかが知れていました。
この頃の足利義輝の苦労がわかるのが、同時代に「義」や「輝」、「藤(義輝の昔の名は義藤)」という名前の付いた武将が数多く登場していることです。
今の時代、名前の一字を貰っても?とは思いますが、当時は現代では認識が違います。
なりふり構っていられない、何とか復権をという義輝の姿が目に浮かびます。
義輝は積極的に全国の大名たちと交流を続け、大名同士の争いの仲介などを行い、権力を徐々に盛り返し、朝廷(天皇)との信頼関係を再構築していきます
そして、ついに義輝は将軍家内の内部抗争の問題であった元部下たちの京の街からの追い出し(言ってみれば勢力を無くすこと)を画策するようになります。
政治を思うがままに操っていた部下たちからすると、将軍復権は好ましいものではありません、それどころか今度は自分たちが追いつめられるのではないかと、不穏な空気が漂いだします。
そして、ついに事件が起きます。
義輝は元部下たちから襲撃を受け、道半ばにして亡くなってしまいます。
この襲撃は永禄の変と呼ばれるのですが、実は義輝が有名になったのは、この永禄の変での義輝の壮絶な最期が影響して、後世に名を残したと言っても過言ではありません。
この壮絶な最期を伝えるには義輝の違った一面をお伝えする必要があります。
義輝は生涯を通し非常に武芸熱心だったと言われています。
将軍と言えど不遇な時代で真っ先に命を狙われる身分でしたので、自分の身は自分で守るという考えもあったのかもしれません。
将軍だから武芸は当たり前じゃない?と思われるかもしれませんが、将軍といってもいわば「王様」です。
当然、戦が起こっても前線で戦うことなどありえませんので、初代将軍はまだしも、そこから二代、三代と続いていく中で、武芸は見るもの、嗜むものに変わっていくのが普通でしょう。
義輝は有名な剣豪であった塚原卜伝や剣聖として名高い上泉信綱から学び、ひたすら剣の腕を鍛え上げていきます。
そんな義輝が部下からの襲撃を受けたのです。
剣の腕を鍛え上げた義輝は、逃げる事はせずに自ら剣を抜いて果敢に戦いました。
義輝は武芸に熱心だったことから刀も好きだったと言われており、所有する名刀と呼ばれる刀を、自分の周りの畳に差して敵を迎え撃ったと言われております。
刀は固い物を切ると破こぼれし、血糊が付くと切れ味も悪くなってしまいますので、さながら敵を次々と切っていき、切れなくなると、畳に差してあった名刀を抜き、また敵を切っていくという戦い方をしました。
しかし、最期は敵に畳を盾とされ、その隙間から一斉に刺されて亡くなったようです。
義輝はこのとき三十歳、早過ぎる、そして壮絶な最期でした。
本日の言葉はそんな義輝の辞世の句です。
いかがでしょうか、義輝の生涯と最期がこの辞世の句の意味に結びつきませんか。
そんな義輝の在りし日の姿が楽しめる小説がこちらです。
最後の戦いのシーンは後世の創作(畳に名刀を差し、抜きながら次々と敵を切り伏せた)の可能性が高く、最期も自害だったのではないかとも言われていますが、逃げずに勇猛果敢に戦ったのは事実と言われています。
着物を着て輿に乗っているものだと思われる将軍が、剣を抜いて敵と戦って最期を迎えるというのが、やはりここまで名が広く知れ渡った理由だと思いますね。
足利義輝、覚えて損はない将軍だと思います。
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