死にまつわることは感動じゃない
by小島良太(競馬の調教助手)
この言葉は競馬の調教助手である小島良太さんの言葉です。
管理していた馬が不慮の事故で亡くなったときの言葉だったかと記憶しています。
競馬には安楽死というものがあります。
競馬では一般に予後不良と言われます
この予後不良はよく非難される処置で有名です、どのような理由であれ、寿命を縮めるわけですからね、それに人間には安楽死が一部の国を除き、認められていませんので、それが動物であれ安楽死という処置には、いつまでも議論は続くのだと思います。
私はこの予後不良に対して、ここでは肯定意見も否定意見も出しません。
ただ、その予後不良というものを競馬のケースに沿ってご説明したいと思いましたので、書きます。
まず、安楽死させるか否かという判断は、救命不能と診断され、回復が極めて困難と診断された場合です。
よく言われる「走れないという理由だけで殺すのか!」という意見がこの時点で的を得ていないことがわかりますよね。
なぜ骨折で予後不良という判断になるのかと言えば、そもそも馬は4本脚で立ったり歩いたり出来なくなると、体に様々問題が起こってきます、合併症とも呼ばれます、また骨折によるストレスで亡くなるケースもあります。
従って骨折の具合により、治ると判断されるものもあれば、治らないと判断されるものがありますので、それが救命可能と判断されるか、救命不能と判断されるかの違いにも繋がります。
予後不良は、手術や延命治療をしても亡くなるという判断から行われる処置です。
今までの歴史において有名なのは、救命不能と判断されたのにも関わらず、オーナーや競馬ファンの意向により救命措置が取られた競走馬もいます。
しかしその馬は治療を続けても様々な合併症を発症し、1カ月半の闘病生活の後、苦しみながら亡くなりました。
この悲劇は予後不良という判断について、一定の理解が得られるようになった出来事でもあったそうです。
こういったケースは数例報告されているのですが、中には予後不良という判断後に回復したケースもあるにはあるので、これがやはり争点にはなってしまいます。
話が安楽死や予後不良に逸れてしまいましたが、改めて本日の名言の解説です。
感動の映画やドラマと言われるもので、人や動物が亡くなるシーンはあるかと思います。
しかし、実際の人生で人や動物が亡くなって感動したことはあるでしょうか。
そんな経験は無いかと思います。
あるのはただただ悲しいという感情ではないでしょうか。
悲しくて涙が出る、感動して涙が出る、感情は違えど、出るのは同じ涙かもしれませんが、涙が出た理由というのは、全く異なります。
死は悲しみであって感動ではない、わかっているようではっとさせられるような言葉だと思います。
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