急な山に登りつめて頂上に腰を下ろす旅人は、
ほっと一息いれるのが限りない喜びであるが、
もし、永久にそうやって休憩していろと無理じいされたら、彼は幸福であるだろうか。
byスタンダール(小説家)
答えは「幸福ではありません」ですよね。
なぜ限りない喜びを享受した旅人は、そうやって同じように休憩してると幸福ではなくなるのでしょうか。
と、このように考えなくとも自ずとわかると思いますが、要はそのときはその状態が喜びなのでしょうが、状況が変われば同じような境遇でも喜びを感じないってことかと思います。
歩いて歩いて疲れ果てて山頂に到着、やったぞ!と一息入れて景色を眺めるのは喜びでしょうが、同じ景色を延々と見続けながら、そこにずっと立ってる、これは到底耐えられませんよね。
山を登る苦しみがあっての一息という幸せなんです。
ただ、このことは何も登山に限ったことではありません。
この場面ではこれで幸せ、でもこの場面ではこれは幸せではない、というようなことが多々あります。
日本で食事した、うまい、これは普通です。
東南アジアで食事した、うまい、これは幸せです。
日本へ一時帰国して、日本で食事した、うまい、これは超幸せです(笑)。
家で眠る、すっきり寝られた、これは普通かもしれません。
でも、飛行機の深夜便ですっきり寝られた、これは幸せです。
例えが身近過ぎて申し訳ありません。
おはようございます。
予定であれば、私はこの時間、成田空港に到着しているはずです。
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