友達に好かれようなどと思わず、
友達から孤立してもいいと腹をきめて、
自分を貫いていけば、
本当の意味でみんなに喜ばれる人間になれる。
by岡本太郎(芸術家)
岡本太郎さんは、学生時代に友人から誕生日プレゼントで本を貰い、感銘を受けました。
友達に好かれようと思って、いろいろと気を遣っても、なかなか好かれないですが、逆に、自分自身を出した方が好かれることが多いと思います。
見繕ったその人と友達となりたいのではなく、その人のありのままが素晴らしいから友達になるんだと思います。
自分の前で気遣いばかりする人と友達になりたいと思うことは無いですよね。
自分が思えば、相手もそう思うはずです。
他人を全く気にせずに、自分の思うがままに生きる、めんどくさいことはめんどくさい、さすがにこれでは人としてどうかと思いますので、ある程度のバランスは必要でしょうが、好かれようと思って何かしてもそれは見破られてしまいます。
本当の友達は、本当の自分を知ってくれている人なのではないでしょうか。
「俺の前でお前、何で気を遣ってんだよ」「おぉ、すまんすまん」という会話が続くような関係だといいですね。
おはようございます。
今日から12月ですね、2019年も残り1か月となりました。
昨日も書きましたが、そろそろ年賀状を作らなければなりません。
年賀状は15年連続で発行枚数が減っており、2004年は44億5936万枚なのに対して、2019年は24億0021万枚と半分近くに減っております。
私も例外ではなく、小学校や中学校で友達同士で年賀状は出し合っていましたが、高校に入って減り、大学に入り更に減った感じで、もう大学生の頃なんかは1枚も無かったんじゃないかな?と、正直出したのか出してなかったのか覚えていないくらいです。
私自身、何事にも「古き良き~」という文言が好きですが、だからといって昔の文化や古い行事は続いた方が良いというような気持ちは微塵もありません。
文化であれ習慣であれ、必要だったり需要があれば残っていけば良いと思いますし、そうでなければ廃れて良いと思っています、それが時代の流れですから。
この年賀状、私も正直、出す必要性を感じなくなっていました。
一時期、あけおめメールなどで代用、みたいな感じになっていましたが、もはやそれすらどっちでも良いのかなと思っています。
そんな私だったのですが、入社した会社に社員同士で年賀状を出す文化が残っていたのです。
もちろん会社からの強制ではありませんが、基本的に皆さん年賀状を出されています。
必要と思わないのであれば、出さなくても?という考えが当初無かったわけではありません、当然ありました。
それでも年賀状を出すという行為が悪いわけではないし、これも日本の文化と言えますので、毎年この時期になると年賀状作りに勤しむといった感じになっています。
ただ、私はご存じの通り日本にいませんので、年賀状作りはネットサービスである「ウェブポ」にお世話になっています。
この「ウェブポ」、何が良いかというと、年賀状のデザインから投函までを全て行ってくれます。
私は年賀状に一切触れることなく、投函までしてくれるサービスです。
投函を自分で行うことも出来ますので、完成した年賀状をまずは自宅に届けてもらい、個別に一筆ずつ書いてから自分で投函も可能なサービスです。
当初は不安があった為、完成した年賀状をまず実家へ送り、問題が無いかどうか確認してもらってから、両親に投函をお願いしておりましたが、今はもう投函まで全てお願いしています。
手書きで住所を書く必要もなくなり、自宅のPCで行う場合のプリントミスにイライラさせられることはありません、これらは非常に大きな利点です。
もちろん印刷料金などが掛かってきますが、おそらく日本へ帰国後もこのサービスを使うことになりそうです。
それほど、この「ウェブポ」は優秀です(欲を言えばもう少し住所記入形式を簡素化してほしい)。
初めてのことは何やらトライしにくい、今でも何とかなっているからいいやとなりがちです(年に1回のことなら尚更です)。
でも、この「ウェブポ」はお勧めです。
この「ウェブポ」は海外赴任していなかったら使う機会はなかったサービスです。
このウェブポだけじゃなく、海外赴任していなかったら気付かなかったことって意外に多くあります。
これも海外赴任によって得られる仕事以外の貴重な経験の一つですね。
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