悩んで人と話をする。
それ自体に何の意味もないし、何の解決ももたらさない。
結局は自分で解決するしかないのだ。
助けてくれる人なんて実際はいないんだ。
ただ、真剣に悩んでくれる、
たったそれだけのことなのに、人は人に悩みを打ち明ける。
たったそれだけのことなのに、もしかしたら、とても大切なことかもしれないね。
by作者不詳
上記の言葉もまた以前のブログから引用してきました。
出所がわかりません、以前のブログには「byどっかの誰か」と書いていました。
んー、過去の自分はどこから上の言葉を持ってきたのでしょうか。
過去に遡って聞いてみたいです。
私はあまり人へ相談することがありません。
と言いますのも、結局のところ自分で解決するしかないと思ってしまう質だからです。
将来のことに悩んでいた学生時代(今思えば小さな悩みでしたが)で、私の持論が、人に相談して出た結論よりも、同じ結論でも自分一人で悩み抜いて出したものの方が価値がある、何があってもブレない自分の指針になる、です。
たいそうな言い分ですね、今でもそう思います。
それでも、私の中では、安易に人に相談して答えを探そうとせずに、まずは自分一人でじっくり悩んでみる、悩んでも全く答えが出そうにないときに初めて人に相談するという心持ちで過ごしてきました。
ここまで書きますと、紹介した名言に逆行しているように思われるかもしれませんが、それは違います。
あくまで私はそういう「質」なだけであって、世の中には様々な人がいて、話を聞いてもらうだけで救われるような方もいるはずです。
私の悪い癖で何にでも白黒はっきりつけたがるところがあるので、昔は誰かの相談に乗ったきでも、いやいやこの話、解決策ないんじゃん、こっちからアドバイスできることなんてないよ、と思ってしまい、この時間は相手にとって無駄な時間なのでは?と思ってしまうことが良くありました。
ただ、上記のような言葉を知り、また多少なりとも年齢を重ねることで、まずはじっくりと話を聞いてあげようと思うようになりました。
解決策がなくとも、話を聞いている、それだけで相手にとってはプラスとなるかもしれない、と。
仕事柄、会社でも中間の立場に位置づけられることが多く、後輩から相談を受けることも度々あり、その中で気を付けていることがあります。
悩む彼らを見て、内心では何でそんな小さなことで悩むんだと思うところはあるのですが、絶対にそんな素振りは見せてはいけないと思っていますし、良いアドバイスが出来ないときも、それは困ったなとまずは一緒に真剣に悩むようにしています。
誤解をしてもらっては困るのですが、悩むふりをするのではありません。
上記の大切さを知っているからこそ、相談を受けたとき、深く考えなくともそういった心から真剣に悩むという心情になれるのだと思っています。
おはようございます。
ブログの書き出しが長くなってしまいました。
先日は市内でインドネシア料理を食べてきました。
インドネシアっぽい料理ですよね。
串の料理はサテアヤム(インドネシアの焼鳥)で、葉っぱに包まれてご飯と総菜がぐちゃっとなっているのが、ナシバカールです。
個人的にはインドネシア料理よりも、マレーシア料理、シンガポール料理の方が好きなのですが、このナシバカールはうまい。
この料理は、バナナの葉っぱに包まれて焼かれたもので、名前の通りです。
ナシ=ご飯、バカール=焼く、です。
ちなみに有名な、ナシゴレンは、ナシ=ご飯、ゴレン=炒める、揚げる、で、いわゆるインドネシアのチャーハンですね。
このナシバカール、確かに見た目は悪いのですが、ご飯にもほんのり風味があり、一緒に焼かれている総菜がご飯に合う、ご飯が進みます。
ローカル飯なのですが、葉っぱに包んで焼く手間の問題からか、あまりレストランでは見かけません。
インドネシア料理とっても、地域ごとで文化も料理も多少異なりますので、他の地域ではどうかわかりませんが、私の住んでいる地域ではあまりメジャーでは無いかもしれません。
クオリティの低い日本食や西洋料理を出すのなら、こういった料理を出してくれるレストランの方が良いのにと思ってしまいます。
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